平日の食事

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前掲の延宝九年(一六八一)の「農民法度」第一六条に、近年、大部分の者が雑穀を食べずに贅沢になっている。今後は、五人組で申し合わせ、贅沢な食事をやめるように、と規定されている。天和二年(一六八二)二月九日付の「唐竹(からたけ)村 村之位」(資料近世1No.一一五八)の中に、村の生活について記した書上(かきあげ)(以下「唐竹村書上」と略称する)がみえ、主食の内容が知られる。唐竹村(現南津軽郡平賀町)は弘前市域ではないが、農民の食生活には共通部分が多いので、以下これに基づいて記述する。その第一・二条によれば、農民一〇人当たりの日常における朝夕の食事が、米二升に粟五合と薊(あざみ)・大根・麦のうち一種類を一升ほど加えているので、米二に対し雑穀一・五のカデメシであった。また粥にした場合、米一升に粟五合と薊・蕗(ふき)・大根・麦のうちいずれか一升を加えている。これは米二に対し雑穀が三の割合となろう。この村は元禄三年(一六九〇)には村位が下であるから(『平山日記』)、豊かな村ではなかった実態をある程度示しているであろう。
 「国日記」享保九年(一七二四)十月十五日条にみえる倹約令第六条によれば(資料近世2No.二一六)、日常の食事は貧富に関係なく一汁一菜で、作物(野菜類のことか)や下魚(安価な魚のことか)のほかに食べてはならないとみえている。また「国日記」寛政二年(一七九〇)二月十一日条にある倹約令の第一七条には、一汁二菜を守るよう規制され、これ以後幕末まで同様な規定が出されている。

図117.野良の食事