目次
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新編弘前市史 通史編3(近世2)
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第7章 藩政期の人々の生活
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第三節 町場の生活
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三 諸産業
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(一)紙漉(かみすき)
紙漉町熊谷喜兵衛
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この喜兵衛が史料に初めてみえるのは、天和二年(一六八二)、次いで貞享四年(一六八七)二月、北の丸
久祥院
御殿の唐紙(からかみ)二〇〇〇枚を漉き立て献上した記事である。
元禄四年(一六九一)に
紺屋町末紙漉所
、同八年に西坂下
紙漉所
が廃止され、御
用
紙漉
は
紙漉
町の喜兵衛だけになった。享保十年(一七二五)十二月、七十三歳で病死するまで
紙漉
町名主
と
紙漉
頭の御
用
を勤めた。その間、元禄十四年の
楮町
取り立て、享保四年からの国産
半紙
増産事業に貢献した。
図133.
紙漉
町図