長利仲聴(おさりなかあきら)は幼年より
岩木山神社神主阿部常陸(名は仲昌)と
学問所和
学士斎藤熊蔵(名は規冲、規房の子)について神学と和学を学んだ。弘化二年(一八四五)七月内命を帯び、
江戸の歌人
海野遊翁に入門し、さらに嘉永三年(一八五〇)に
千種有功に歌学を学んだ。明治二年(一八六九)十月
学問所教官を命じられた。同三年九月神祇制の改革につき藩命によって上京し、この時に
平田銕胤(かねたね)(篤胤の養子)に入門した。長利は歌人や
国学者と広く交わり、門人は数百人あったという。
図176.長利仲聴