清安寺(せいあんじ)は、天正二年(一五七四)、長勝寺三世密田が赤石村(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に隠居所として松源院を創建したことに始まる。後に長勝寺構の中に移転した。
信枚の正室満天姫(まてひめ)が寛永十五年(一六三八)に死去すると、四世通讃によって剃髪がなされた。「長勝寺並寺院開山世代調」(同前No.四〇五)は、信義の正室富宇(ふう)が母「心悦清安大姉」の位牌を祀ったことから、この戒名により寺号を改称し、信義が寺領三〇石を寄進したという。正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳」は、信枚が慶長年間(一五九六~一六一四)に三三石三斗三升を寄進したとする。