三代信義は
高野山遍照尊院(へんじょうそんいん)と契約し、寺領四二石を寄進して先祖の供養を頼んだ(同前No.五〇八)。『
和歌山県
高野山遍照尊院旧弘前
藩主津軽家墓所石塔修復調査報告』(一九八八年 遍照尊院刊)によると、墓石一八基が現存し、歴代
藩主としては初代から三代、七代から一一代までは現存するが、四代から六代までのものはみられない。他に
藩主の家族と
大道寺家の墓石があり、追善供養塔のほか逆修供養塔が二基ある。先祖崇拝の信仰に支えられて高野山に供養塔を立てることは、全国の
大名家でも慣習化していた。
図243.高野山遍照尊院の津軽家墓所