学区取締(とりしまり)

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学制第八章に学区取締の規定がある。「一中学区取締十名乃至十二三名ヲ置キ、一名ニ小学区二十或(あるい)ハ三十ヲ分チ持タシムベシ、此(この)学区取締ハ専ラ内人民ヲ勧誘シテ務テ学区ニ就カシメ、且(かつ)学校ヲ設立シ或ハ学校ヲ保護スベキ事或ハ其(その)費用ノ使用ヲ計ル等、一切其受持所(うけもつところ)ノ学務ニ関スル事ヲ担任シ、又(また)一中内ニ関スル事ハ互ニ相論議シ、専ラ便宜ヲ計リ、内ノ学事ヲ進歩セシメン事ヲ務ムベシ」とあって、その職務は広範囲に及んでいる。
 学区取締は弘前、中津軽郡、西津軽郡を包含する第三中学区内に十人ないし十二、三人あって、弘前の最初の学区取締成田五十穂相馬三郎である。学区取締役所(注、大区小区制の役所)の吏員で、自宅で執務したが、明治八年から役所に常勤するようになった。取締は教育行政に権限を持ち、官庁から学校への命令、学校から官庁への伺い、届けなどすべて取締を経由して行われ、就学勧誘から学校新築、学校会計の監査、あるいは学校経営にまで口を入れた。学区取締は明治十二年(一八七九)九月の教育令公布とともに廃止された。