この奥羽本線敷設に関して、当初は停車場を黒石町に設置する予定であったが、弘前市会議長田中耕一が政府に意見書をし、弘前市への設置の必要性を力説した(資料近・現代1No.三八一)。明治二十八年(一八九五)十月二十一日、弘前-碇ヶ関間が開通、三十二年六月二十一日には碇ヶ関-白沢間、同年十一月に白沢-大館間が開通と敷設距離を延ばしていき、結局奥羽本線の全面開通は明治三十八年(一九〇五)九月であった。明治三十九年四月十六日から福島-青森間には毎日上下各一回の直通旅客列車が運転された。
写真84 鉄道開通時の弘前駅
鉄道省編『日本鉄道史』(一九二一年)によれば、鉄道が普及する一方で、各地で事故も発生しており、奥羽本線に関しては、明治四十二年四月に暴風雨と融雪があいまって河川の氾濫が起き、線路が浸水し、大鰐-弘前間では土砂崩れのため貨物列車が脱線転覆している。