藩祖の銅像

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明治三十九年(一九〇六)九月に藩祖三百年祭が全市を挙げて盛大に行われた。このときの記念事業として藩祖為信の銅像建立を決定したが、四十二年一月に完成して到着、二十一日銅像が公園本丸の台座に載せられると、旧士族藩祖の津軽統一の古(いにしえ)を偲び、銅像の前に集まって記念撮影をした。その除幕式は九月三日に行われた。

写真121 本丸の為信公銅像
(明治42年建設当時)

 銅像は外崎覚の考証に基づき、彫刻家山崎朝雲が原型を制作、鋳造家阿部胤斎が鋳造した。高さ一丈三尺(約四メートル)、甲冑を着けた軍装直立の像で、左手に太刀(高照神社蔵、友成の太刀を摸す)、右手に軍扇(「不制于天地人」の文字あり)を持つ。容貌は長勝寺蔵の為信木像によるという。台石は平沢均治監督のもとに東京駒込の石工酒井八右衛門が担当した。水戸産の花崗岩で高さ一丈五尺(約四・五メートル)である。工費は原型・鋳造費で五三五〇円、台石一九六五円六八銭であった。この銅像は旧城跡たる弘前公園を飾り、城下町弘前の象徴ともなって永く市民に親しまれ、この地を訪れた人々の印象にとどめられたが、昭和十九年に太平洋戦争下の金属回収令によって徴発された。