若き日の笹森儀助

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笹森は小姓組(こしょうぐみ)時代、師山田登の藩政改革封書を藩主に提出して永禁錮、禄一〇〇石を三分の一に減ぜられる譴(けん)を受け、明治三年まで四年間謹慎生活を送った。廃藩後、県官に採用されて民政に尽くした。明治十四年に郡長を辞して、弘前士族救済のため岩木山麓に農牧社(のうぼくしゃ)を開業、以後一〇年間寝食を忘れて開墾、牧畜に従事、事業の見通しを得て、明治二十三年(一八九〇)、第一回帝国議会を傍聴、名利を求め、地価修正に暗躍して、国家百年の計など話題にもならぬことに失望して議会政治を見限った。翌二十四年、西日本の実態を自らの目で見聞するために七〇日間の貧旅行をした。脚の続く限り歩行し、そのため半靴ことごとく破れ、足皮損して膿(うみ)を生じ、面色黒きこと土のごとく、旅衣汗に染まり、亭(やど)の奴婢(ぬひ)の誹笑(ひしょう)を受けた。