芝居小屋と寄席

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明治以来、市民に親しまれた芝居小屋として元寺町の柾木座と茂森町の茂森座があり、ともに古い伝統に立ち、独特の雰囲気を漂わせて、市民の娯楽の中心であった。この二つの芝居小屋には、旅回り芸人による歌舞伎や新派劇がかかり、ときには地元役者一座の上演もみられた。芝居のほかに、義太夫や浪曲、娘義太夫、奇術までも上演されて人気を集めた。

写真199 茂森座内部

 芝居小屋に劣らぬ娯楽の場に寄席があった。これは、芝居小屋のような舞台装置を持たない手軽さで、旅回りの一座の義太夫・娘義太夫のほか、浪曲や落語など多彩な演(だ)し物によって親しまれていた。中土手町に蓬萊亭、鍛冶町に川留亭、和徳大通りに米山亭があった。
 しかし、大正期に入ると、活動写真が大衆娯楽の世界に大きく台頭してきた。弘前では、大正初期までは常設館はなく、全国巡回の活動写真芝居小屋寄席を利用し、上映されていた。明治三十三年五月の柾木座での上映が皮切りで、その後、単発的に巡回興行されていた。一本のフィルムが一〇分程度で、画面も不鮮明なものであったが、いずれも人気は高く、大入り満員の大盛況であった。やがて、この活動写真の興隆により、芝居小屋寄席は転向を余儀なくさせられていくのである。