写真199 茂森座内部
芝居小屋に劣らぬ娯楽の場に寄席があった。これは、芝居小屋のような舞台装置を持たない手軽さで、旅回りの一座の義太夫・娘義太夫のほか、浪曲や落語など多彩な演(だ)し物によって親しまれていた。中土手町に蓬萊亭、鍛冶町に川留亭、和徳大通りに米山亭があった。
しかし、大正期に入ると、活動写真が大衆娯楽の世界に大きく台頭してきた。弘前では、大正初期までは常設館はなく、全国巡回の活動写真が芝居小屋や寄席を利用し、上映されていた。明治三十三年五月の柾木座での上映が皮切りで、その後、単発的に巡回興行されていた。一本のフィルムが一〇分程度で、画面も不鮮明なものであったが、いずれも人気は高く、大入り満員の大盛況であった。やがて、この活動写真の興隆により、芝居小屋、寄席は転向を余儀なくさせられていくのである。