昭和になり、我が国の経済不況が深刻化してくると産業の不振を打開するため、県を挙げての産業振興が進められていくが、その取り組みとして昭和三年(一九二八)、本県の産業振興に関する各業種の事項を調査研究するために青森県産業振興会が結成され、その後、弘前においても
弘前産業振興会が結成された。昭和六年七月一日、弘前市役所において総会が開かれ、
商業、
工業、
農業の各部門における理事や委員が選定されるとともに、調査事項が提示された。
工業部門の理事には、
近藤東助、土田與惣市、
福永忠助、長谷川與助、
八木橋文之助、
齋藤熊五郎、
石郷友次郎、
川村東一郎、
佐藤重三郎が選任された。そして、(一)
酒造業、(二)織物業、(三)漆器業、(四)木通
蔓細工工業、(五)銅・鉄
工業、(六)家具指物業、(七)菓子
製造業、(八)醤油・味噌醸造業の八業種の組合や研究会から提出された調査事項にもとづき、市を挙げた
工業振興への取り組みが開始される。多くの業種の調査事項では、教育機関である
工業学校や研究機関である
工業試験場の協力、指導を仰ぐ必要があると報告されていることからも分かるように、
工業振興には、技術・品質の向上が最優先すると考えられていたようである。また、
酒造業では、新たな取り組みとして
りんごシャンペンの製造が報告されている(資料近・現代2No.一七一)。
昭和六年度における弘前市の産業を生産額でみると、
農業が四万七一九一円、畜産業が四万三六九円、
工業が四七二万三四一九円、水産業が八〇円と、
工業が全体の九八・二%を占めており、当時の弘前市はまさしく
工業都市であった。
工業生産物の内訳は表4のとおりであるが、
工業生産物価格では酒類が群を抜いて多く、全体の四七・七%を占め、これに木製品が次いでいる。木製品は、桐だんすが仕上げ方法の向上により名声が高まり、北海道に移出されるようになったため、生産価格が増加した(同前No.一七二)。
表4 昭和6年度弘前市における工業生産の内訳 |
工業生産物 | 戸数 | 価格 |
| 戸 | 円 |
織物 | 8 | 207,965 |
漆器 | 45 | 65,000 |
油類 | 2 | 6,344 |
酒類 | 16 | 2, 251,815 |
味噌 | 13 | 253,200 |
醤油 | 14 | 122,500 |
缶詰 | 5 | 11,100 |
澱粉 | 1 | 240 |
木製品 | 120 | 489,800 |
皮製品 | 17 | 31,900 |
藁工品 | 93 | 15,232 |
竹蔓細工 | 8 | 19,350 |
その他 | 421 | 1,248,973 |
計 | 763 | 4,723,419 |
資料近・現代2No.172より作成 |