金融危機の勃発

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 金融恐慌は、昭和二年(一九二七)三月十四日、帝国議会において関東大震災後の被害により決済できなくなった手形を政府が救済融資する震災手形損失補償公債法案ならびに震災手形善後処理法案の審議中に、片岡蔵相が答弁において、東京渡辺銀行が破綻した旨の「失言」をきっかけとして全国に波及したものであるが、金融機関の休業や閉鎖はその後も引き続き、地方においては表6のように、昭和四年から七年にかけて一二六行が休業または開店休業の破綻状態に陥った。
表6 休業・開店休業銀行の地方別・年次別(昭和3~10年)
本店所在地年次別
昭和
3年
4567810
北海道   1   1
青森  110   11
岩手   4   4
秋田   1   1
福島11 141  17
茨城11     2
栃木  22   4
群馬1 1    2
埼玉   1   1
千葉  1    1
東京2 1    3
神奈川  3   14
新潟1      1
富山  5    5
山梨  212   14
長野 1213   16
岐阜  172  10
静岡  212  5
愛知 2 35  10
三重    3  3
滋賀  1    1
京都   13  4
大阪  13 2 6
兵庫42 4   10
奈良      11
和歌山   4   4
鳥取     1 1
広島 1     1
愛媛  1 1  2
福岡    1  1
長崎 11    2
熊本  1    1
宮崎    2  2
合計20827712032151
遠藤寛「昭和恐慌期における休業銀行開店休業銀行の実態と影響」『地方金融史研究』第18号、1987年
注) この表には貯蓄銀行を含む。

 そして、そのほとんどは解散、または合併などによって姿を消し、破綻前の現状に復帰できたのはわずか一一行にすぎなかった。そのうち、福島県の福島貯蓄銀行と三重県の四日市銀行を除く九行はすべて青森県の銀行であった(拝司静夫「昭和恐慌期における地方銀行の破綻と復活」『地方金融史研究』第二〇号、一九八九年)。
 昭和五年の政府による金解禁実現のためのデフレ政策は、農村の不況を深刻化させ、さらに翌六年の大凶作は東北地方の農村疲弊に拍車をかけた。このような経済状態が、銀行預金の減少や不良債権増加となり、その結果、銀行経営を悪化させ、信用不安を蔓延させることになった。そのような状況下、安田銀行福島支店の取り付けのデマが、昭和五年十一月十七日に当行弘前支店、そして翌十八日には同青森支店にも波及するという事件が起きた(日本銀行調査局『日本金融史資料』昭和編 第二十四巻、大蔵省印刷局、一九六九年)。するとこのデマにより業績不振に悩んでいた県下で二番目の規模(表7参照)を誇る八戸銀行がそのあおりを受け、緩慢な取り付けの状態に陥った。そして、同年十一月二十四日、とうとう三週間の休業を発表したのである(『東奥日報』昭和五年十一月二十五日付夕刊)。八戸銀行の休業により、三八地方の金融機関は緩慢な取り付けに遭い、のちに岩手県下の金融危機をも引き起こすことになる。
表7 県内本店各銀行主要勘定(昭和7年下期末)
(単位:千円)
銀行名資本金払込資本金積立金預金借入金諸貸出有価証券当期純利益諸勘定計
青森1,00064014590501,080108152,090
青森商業1,5009151961,12801,369440292,886
第五十九10,8005,92780810,212,99516,73597916025,743
弘前1,5008061534412,054209△73,478
弘前商業1,5006751661,24402,128249243,730
津軽2,0001,1505521,99503,741251336,253
陸奥3,0001,200383,5129412,67111304,971
金木5003126396024827619796
佐々木500125402067007721,75702,984
板柳1,000325891,606291,663306112,946
板柳安田500125371,46214149013801,115
尾上1,000750237323201,761125472,317
三戸700340411963301,46897252,327
八戸5,0002,3001051,0934962,60329829,338
   3,338  (△609) 
青森貯蓄500250521,5280886576222,166
青湾貯蓄5001621471,060053758881,833
青森銀行行史編纂室『青森銀行史』青森銀行、1968年より作成