経済更生運動と計画

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 昭和六年の満州事変以後、戦火の強まる中で国民の生活、特に農村部の疲弊が強まっていった。こうした中で「時局匡救事業」の一環を担ったのは農山漁村経済更生計画による自力更生運動であった。昭和七年(一九三二)の第六三回臨時国会は、俗に「救農国会」と呼ばれ、「時局匡救対策」としての救農土木事業と農山漁村経済更生計画の樹立が主要施策となった。経済更生計画は昭和七年から同十七年(一九四二)まで行われ、更生計画指定村は、全国の八割に及んだ(『農山漁村経済更生運動史資料集成』I、柏書房、一九八五年)。
 県内務部農政課による『青森県農家負債状況調』(昭和七年十一月)によると中津軽郡農家の一戸当たり負債額は五〇〇円から一〇〇〇円程度で、同調査によると県内の平均は九一三円であった(表14参照)。ちなみに弘前市の農家戸数は一六〇戸、負債農家は八一戸で、一戸当たり総負債額は一五六〇円とやや多くなっている(同前)。
 経済更生計画は全村ぐるみで行われ、同計画に基づいて、新和村、船沢村、豊田村、和徳村、堀越村、大浦村、高杉村、東目屋村、藤代村、石川町が「計画指定町村」に指定され、全町村民を挙げて隣保共助の組織化を要求された。東目屋村では、経済更生計画を樹立し、特に「中堅青年養成」「産業組合ヲ拡充活用」「負債整理組合ヲ設立」が緊急課題に挙げられた。また、計画の実施には、「各部落ニ連帯責任ヲ負う実行組合ヲ設置」して、「五人組制度」のような実行班を末端に置いて組織することが強調された(「東目屋村経済更生計画と実行費」、資料近・現代2No.二二七)。
表14 中津軽郡町別農家負債状況
町村別総戸数農家戸数(a)農家総負債額(b)農家一戸当総負債額b / a
 
清水村655605461,017762
和徳村1,462617396,737643
豊田村728492380,496773
堀越村655413219,603531
千年村774599446,258745
駒越村591550283,538516
岩木村631610396,640650
相馬村635590181,370307
東目屋村506441327,443743
西目屋村464376204,953545
藤代村927734565,578771
新和村804596714,3891,199
大浦村516423241,245570
船沢村524515274,212532
高杉村581490444,875908
裾野村674613544,656889
青森県内務部農政課『青森県農家負債状況調』昭和7年より作成

 経済更生計画は全村ぐるみで行われ、同計画に基づいて、新和村、船沢村、豊田村、和徳村、堀越村、大浦村、高杉村、東目屋村、藤代村、石川町が「計画指定町村」に指定され、全町村民を挙げて隣保共助の組織化を要求された。東目屋村では、経済更生計画を樹立し、特に「中堅青年養成」「産業組合ヲ拡充活用」「負債整理組合ヲ設立」が緊急課題に挙げられた。また、計画の実施には、「各部落ニ連帯責任ヲ負フ実行組合ヲ設置」して、「五人組制度」のような実行班を末端に置いて組織することが強調された(「東目屋村経済更生計画と実行費」、資料近・現代2No.二二七)。
 各町村においても町村長を委員長とする経済更生委員会が組織され、これに役場、農会産業組合、学校、婦人会、青年団、農事実行組合が縦の組織を作り、末端では農家五人組を単位とし、生産から生活までの規制を行った。この組織化は戦時動員体制の構築に利用され、このような体制の構築は戦時体制の社会的基盤を補強するものとなり、総力戦体制の形成につながるものであった(同前)。
 さらに、更生計画では、副業の改良増殖が奨励されたために、現金収入の期待されるりんご栽培を行う農家数は増加した。