この大火によって第一大成小学校、第二大成小学校の二校が同時に焼失した。そのため、第一大成小学校は四月二十三日から和徳小学校に移って、二部授業を行うことになり、午前は和徳校児童が出校して授業し、午後は一大校の児童が授業した。しかし、いつまでも二部授業を続けていては教育上問題があるというので、市は蔵主町角(現NHK弘前支局敷地)にある旧弘前市公会堂を修理して、第一大成小学校仮校舎とし、二学期の九月一日から同所で授業を開始した。したがって二部授業は一学期間だけで解消された。
第二大成小学校は三年生以上を朝陽小学校へ、二年生以下を富田小学校(昭和三年四月から弘前市移管)へ収容、ともに二部授業を行った。ここでも二部授業の解消に努めた結果、朝陽小学校に収容の児童を旧三一連隊兵舎に移し、富田小学校に収容の一・二年生児童は、旧弘前製糸会社(現富士見町秋元酒店倉庫)へ移すことにした。
焼失の両校とも直ちに再建されることになり、第一大成小学校は経費八万四七〇〇円をもって、木造二階建てモルタル塗の校舎が三年十二月二十日に落成した。一方、第二大成小学校再建については市会で種々論議され、結局弘前最初の鉄筋コンクリート造三階建て校舎が建築されることになったが、建築に時日を要し、落成したのは昭和五年六月二日であった。
写真50 県下初の鉄筋コンクリート造であった第二大成小学校(昭和5年)