戦時下の幼稚園

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幼稚園に戦時色が濃厚になるのは昭和十五年ごろからである。工作に日の丸の旗を作らせたり、幼児に見せる紙芝居にも「軍用犬のてがら」「荒鷲隊」などといった戦争物が多くなってくる。また、幼稚園保母で組織している保母会は一ヵ月一回の研究会に軍隊見学などを行っている。昭和十六年五月一日、この日から毎月一日に行われる興亜奉公日に、幼児に対して朝九時に宮城遙拝、昼に黙禱を行わせている。「今年度初めての興亜奉公日、小さい組はまだわからないけれども、形からだんだん馴らして行く。二、三黙禱をやらない子がいる」と弘前幼稚園の日誌に書かれているが、四歳児や五歳児に宮城遙拝や黙禱の意味がわかっただろうか。
 昭和十七年四月から幼児は防空頭巾持参で通園し、防空演習や避難訓練を毎日のように行う。毎月八日には宣戦大詔奉戴日の式を行うまでになった。
一、宮城遙拝 一、敬礼 一、国歌斉唱 一、詔書奉読(園長) 一、祈願(園長) 神様、日本の国をお護り下さい。軍(いくさ)をして居ります日本の兵隊さんをお護り下さい。幼稚園のみんなでお願ひ申上げます。 一、祈念(一句づつ園長が先づ言い、幼児一同にて言ふ) 日本は強い この軍にはきっと勝つ 私達もきっとよい子になります 一、愛国行進曲斉唱 一、敬礼(式終了後、大きい組は神社参拝をなす)

 四歳と五歳の幼児たちにこのような儀式を行うことは、幼児教育上益がなかったと思うが、時の政府・文部省の命令で教育現場ではどうにもならなかったのが実情であった。