敗戦後の混乱を収拾することが市当局の最大の任務だったことは論をまたない。食糧対策を筆頭に衣食住の供給が重要視されたことは、弘前市のみならず、全国共通の問題だった。しかし衣食住がある程度満たされると、人々の生活も落ち着きを見せてくる。そこで行政が次に力を注いだのが生活環境の整備である。
行政が環境整備で積極的に推進したのは衛生対策である。これはGHQの徹底した衛生対策に起因している。占領政策は武装解除を筆頭に民主化を推進したことに特徴かあったが、衛生対策の徹底も重要項目だった。DDTと呼ばれた粉状の殺菌剤の大量撒(さん)布は、歴史教科書でもおなじみの光景となっている。
GHQは、日本政府に対しても衛生対策を要請した。そのため、政府は各地方自治体に衛生対策の徹底を命じていた。弘前市でも事態は同じである。昭和二十一年(一九四六)五月、市当局は塵芥処理、糞尿処理、塵芥焼却場の設置を汚物処理計画として立案し、弘前市農業会と契約して市の衛生対策を実行しようとした。市当局から契約締結を受けた弘前市農業会は汚物処理計画を講じた。具体的な計画内容は市内全域にわたる塵芥処理と糞尿処理だった。弘前市農業会に所属する市内の各地区・各町の農事実行組合が、市内各町ごとに塵芥を処理し、共同便所の糞尿を処理するという、実に徹底した計画である。
しかし戦後の混乱と極度の財政難もあって、市には塵芥処理に充てる金銭的余裕がなかった。そのため昭和二十二年四月からは、利用者から塵芥取扱手数料をとることになった。弘前市では青森県当局から清掃専用の自動車を貸与されていたが、六月には返還を命じられてしまった。清掃車が不足したため市当局は、政府に清掃用貨物自動車の配給を申請している。市当局は文化都市を建設するために必要だと説明しているが、GHQが都市清掃を徹底するよう厳命していたからでもあった。
そのほかに注目される衛生対策としては、GHQの指示により狂犬病予防のため、飼い犬の届け出が命じられたことであろう。市当局では狂犬病予防注射を実施するに当たり、昭和二十二年二月二十六日付で飼い犬の届け出を命じ、届け出のないものは野犬として撲殺するとしている(このほか衛生対策については第七章第六節も参照)。