景気回復後の弘前市の商業

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朝鮮戦争後の弘前市商店街は、どのような構成になっていたのかを見よう。表20に見るように、個人商店が法人商店に比べて圧倒的に多い。また、専門店小売業が全体の商店の中で多数を占めており、次に飲食店と製造小売業が多い。
表20 弘前市の商店数(昭和27年)
業態個人商店法人商店合計
卸売業14288230
各種商店小売業 11
専門店小売業1,401941,495
製造小売業20913222
飲食店2503253
代理商及仲立商415
総数2,0062002,206
小林時三郎・拝司静夫『弘前市の商業-序説-』弘前市政調査会、昭和32年

 各業態別の一商店当たりの一年間の売上高は、昭和二十七年(一九五二)の弘前市内商店六〇五店を比較すると、全体の平均が一一一七万円余である。多額なのは一般卸売業で、二六三八万円余であり、石油小売業が九九五万円余でこれに次いでいる。呉服及身廻品小売商店は六〇一万円余、飲食店は五五七万円余である(小林時三郎・拝司静夫『弘前市の商業-序説-』弘前市政調査会、一九五七年)。
 ただし、卸売業小売業の分類については、兼業している事例もあり、引用した弘前市の統計では、それらについては厳密な分類は行われていないので、商店の分類はおおまかなものである。
 弘前市は、市内はもちろん、周辺農村や津軽各地域、また、秋田県の北部地域を商圏としていた。市内の卸売業につき、その販売先を市の調査により見れば、表21のとおりである。
表21 卸商品販売状況
昭和31年7月現在
種別事例商品仕向地卸売割合
A主として弘前市周辺農村20%
B鰺ヶ沢,碇ヶ関,黒石,浪岡,五所川原65%-70%
C北,中,南,西郡,弘前市内,大館,能代90%
紙類A北郡,岩崎,碇ヶ関,中郡,弘前市内90%
B西郡,十三湖方面,南郡,大館95%
靴,馬具等皮革製品A弘前市(卸売の60%),浪岡,黒石,板柳,柏木60%
B岩木村,駒越,新市域80%
C能代,大館,鷹巣60%
化粧品A弘前市内,北郡,五能線沿線 
薬品A市内個人,官公立病院,深浦,鰺ヶ沢,北,南,西各郡 
B市内各病院,浪岡,大鰐,尾上,目屋,石川,平賀,猿賀 
C市内各病院,南郡,北郡,市周辺 
陶器A黒石,大鰐,浪岡,七和,鶴田,金木,車力,深浦,鰺ヶ沢,五所川原40%
繊維製品A秋田県北郡,鷹巣,尾上,碇ヶ関 
B市周辺,黒石,浪岡,青森,鰺ヶ沢,五所川原,木造,板柳,大浦,相馬,目屋 
C秋田,大館,大岩 
D黒石,板柳,目屋,市周辺 
海産物A大館,鷹巣,黒石,浪岡,板柳,五所川原,金木,鰺ヶ沢80%-90%
文房具A市内,南,中,西,北郡,五能線沿線90%
B中,南郡,市内70%
食料品A船沢,相馬,目屋,大鰐,水木,吉田 
B鰺ヶ沢,五所川原,大鰐,黒石,相馬,船内,五能線沿線 
C西,南,北の各郡,鰺ヶ沢,五所川原,陣場,鷹巣,大館 
理髪美容具品A他県には殆どでない,県内では青森,金木,深浦,八戸 
家具類A弘前市周辺が大部分,鰺ヶ沢,大館,新域等まで 
前掲『弘前市の商業-序説-』

 表中の「事例」欄にある記号は、商品ごとに選ばれた事例としての商店である。これによれば、茶のように、卸売の比率が多いほど、遠隔の地域にまで販売していることがわかる。