本県初の鉄道電化

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終戦によって鉄道事業は極端な石炭不足に悩まされた。昭和二年に開業した弘南鉄道株式会社においても石炭の確保は難しく、昭和二十一年六月の重役会ではその解決策として電化着手の方針が打ち出され、同年八月の臨時株主総会の承認を得た。そして、昭和二十三年(一九四八)七月、本県最初の鉄道電化として弘前-津軽尾上間に電車が登場した。さらに昭和二十五年七月一日には、津軽尾上と弘南黒石間の新路線五・七キロメートルの運輸営業も開始され、弘前市と黒石市との行き来は格段に便利になった。

写真120 弘前電気鉄道弘高下駅

 昭和二十七年(一九五二)には、弘前市に二社目の私鉄が開業することになり、弘前市中心部と南津軽郡大鰐町を結ぶ弘前電気鉄道が開通した(資料近・現代2No.四一六)。この実現のために戦後まもないころから尽力したのが当時の岩淵勉市長で、昭和二十一年十二月二十一日には第一回発起人会を開催し、翌年一月には陸運局に認可申請、昭和二十三年五月七日認可、二十四年七月二十四日に弘前電気鉄道株式会社が設立された(資本金一〇〇〇万円)。
 当初の計画では、大鰐町から弘前市を経て北津軽郡板柳町までの路線と、弘前市から中津軽郡西目屋村までの路線をつくる予定であったが、資金が思うように集まらず、結局弘前-大鰐間の第一期工事でで完了となった。ちなみに板柳までのルートは、西弘前駅から分岐し、樹木-茂森-駒越-大浦-船沢-高杉-裾野-新和-掛落林-板柳が想定されていた。ところで、この開通に先立って、市議会では、黄昏橋から現在の中央弘前駅に至る境橋までの土淵川沿いの市道を廃止し、弘前電気鉄道株式会社に譲渡する議案が可決されている(同前No.四一〇・四一一)。