写真120 弘前電気鉄道弘高下駅
昭和二十七年(一九五二)には、弘前市に二社目の私鉄が開業することになり、弘前市中心部と南津軽郡大鰐町を結ぶ弘前電気鉄道が開通した(資料近・現代2No.四一六)。この実現のために戦後まもないころから尽力したのが当時の岩淵勉市長で、昭和二十一年十二月二十一日には第一回発起人会を開催し、翌年一月には陸運局に認可申請、昭和二十三年五月七日認可、二十四年七月二十四日に弘前電気鉄道株式会社が設立された(資本金一〇〇〇万円)。
当初の計画では、大鰐町から弘前市を経て北津軽郡板柳町までの路線と、弘前市から中津軽郡西目屋村までの路線をつくる予定であったが、資金が思うように集まらず、結局弘前-大鰐間の第一期工事でで完了となった。ちなみに板柳までのルートは、西弘前駅から分岐し、樹木-茂森-駒越-大浦-船沢-高杉-裾野-新和-掛落林-板柳が想定されていた。ところで、この開通に先立って、市議会では、黄昏橋から現在の中央弘前駅に至る境橋までの土淵川沿いの市道を廃止し、弘前電気鉄道株式会社に譲渡する議案が可決されている(同前No.四一〇・四一一)。