今年は局地的には全く稀に見る豪雪にみまわれ多くの被害を招いているが、弘前の場合幸いにもといっては、青森や五所川原等の被害甚大地域には申し訳ない程すくない降雪量であったとしても、やはり被害が発生していないわけではない。商店に限って見ても、融雪の逆流による商品の汚損や品傷み、店舗や施設等の小破損まで数えあげれば、金額的には僅少であるとしても、雪による被害であることに変りはない筈である。雪はたとえ集中豪雪といわれる大量降雪であったとしても、雨の場合と異り、一挙に家屋、商品、家財を流失するという如き被害をもたらすところではないが、交通の杜絶及び交通機能の麻痺、渋滞、滞貨、品薄による価格の高騰、商の不調などの被害のあったことは当市とても異るところではない。といっても何にもこゝにその対応策がどうのということを詮義だてするわけではない。実は商店にあっては、雪を原因とする加害者になってはならないということを訴えたいのである。アーケードや商店の専用歩道が凍結のため歩行を困難にしたり、凍結に足をとられて通行者の転倒を招くが如きは、例え歩道の管理は商店街組織にあるとしても、自店の前の歩道は店の来客動線の延長という観点にたてば、一種の加害であると論じても詭弁ではない。このことは歩道の整備を怠るなということなのである。現に歩道の凍結による歩行困難を防ぐために、自店前の歩道全面に、滑り防除の敷物をおいている店も若干見うける。きめの細いサービス提供であるといえる。仮りに凍結によって転倒した場合、その整備を怠ったの理由で、その店に対して賠償を求められないものでもない。(中略)
さていささか雪の被害と加害の妄想にとりつかれた憾があるが、この紙面の説苑が読まれる三月の中旬にはおそらくナンセンス的杞憂論とうけとめられるだろう。そうあって然るべきと考える。だがこのことは今年だけのことでないことは忘れてはならない。そこで少し雪の効用ということに目をそらして見ることとする。吾国土は細長く、かつその中央に分水嶺があることから河川の足は短かく、かつ急流であるために、水の流失が著しい。毎年六千億トンの雨量があるが、流失と蒸発によって二千億トンが、工業、農業、水道等の水資源として利用されるわけであるが、その貯水機能は、国土開発や、都市舗装化などによって著しく滅少しているという。国土の大半が水田という貯水能力をもっているが、こゝに於ける生産には夥しい水資源が必要である。このために山に積った雪は莫大な貯蔵の役目を果たしているのである。雪は豊年の貢と昔の人がいうたことはいまでも生きている。雪に文句をいうばかりは能ではないだろう。
さていささか雪の被害と加害の妄想にとりつかれた憾があるが、この紙面の説苑が読まれる三月の中旬にはおそらくナンセンス的杞憂論とうけとめられるだろう。そうあって然るべきと考える。だがこのことは今年だけのことでないことは忘れてはならない。そこで少し雪の効用ということに目をそらして見ることとする。吾国土は細長く、かつその中央に分水嶺があることから河川の足は短かく、かつ急流であるために、水の流失が著しい。毎年六千億トンの雨量があるが、流失と蒸発によって二千億トンが、工業、農業、水道等の水資源として利用されるわけであるが、その貯水機能は、国土開発や、都市舗装化などによって著しく滅少しているという。国土の大半が水田という貯水能力をもっているが、こゝに於ける生産には夥しい水資源が必要である。このために山に積った雪は莫大な貯蔵の役目を果たしているのである。雪は豊年の貢と昔の人がいうたことはいまでも生きている。雪に文句をいうばかりは能ではないだろう。
(『弘前商工会議所会報』二三七)