それまでの国鉄弘前駅の駅舎は、明治三十三年(一九〇〇)の建築で、その後一部手直しが行われたが、弘前商工会議所は改築を要望し続けた。
弘前商工会議所が、初の陳情を行ったのは、昭和三十四年六月であり、弘前市長、弘前市議会議長との連名で、国鉄総裁及び東北支社に対して「駅舎改築陳情書」を提出した。さらに昭和四十二年九月に、市議会に民衆駅にすることを含めて、検討せられたい旨が付記された「弘前駅新築について」の陳情書を提出した。
弘前市では、これに応えて同年二月、市議会内に、弘前駅新築促進特別委員会を設置した。全市を挙げての運動の結果、昭和五十五年に至り、国鉄理事会も承認をして、県内初の民衆駅の実現が可能になった。
弘前駅は駅ビルと併せて発着ホームも一部改造し、一二輛編成の列車に合わせて、ホームの長さが二七〇メートルに延長されることになった。弘前駅の工事は、昭和五十六年(一九八一)四月に駅舎が完成し、次いで第二期工事としての駅ビルが同五十七年四月に完成した。この駅ビルは「アプリーズ」と命名された。同ビルは地下一階、地上五階建てで、延べ面積が八〇〇〇平方メートル、売り場面積が三二〇〇平方メートルであり、県内外から約五〇のテナントが入居し、土産品やファッション関係商品までを取り扱う商店群が営業を開始した。
写真179 駅ビル「アプリーズ」