第一、第二大成小学校の統合

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都市ドーナツ化現象と少子化の影響により、弘前市内各小学校は就学児童数の減少を来したが、その中でも特に減少が著しいのは第一大成小学校第二大成小学校であった。両校ともピーク時の昭和三十年(一九五五)には児童数が二〇〇〇人に近く、その緩和策として学区を改正し、第三大成小学校を設置するほどであった。
 それが昭和の終わりごろから、両校ともに児童が減り始め、平成に入るとピーク時の二〇%を切るありさまであった。表51に両校の平成元年(一九八九)から統合時までの児童数を掲げる。
表51 第一、第二大成小学校児童数の推移
 第一大成第二大成
平成元289人(13)389人(15)
2281人(12)357人(15)
3270人(10)339人(14)
4230人(9)308人(14)
5220人(8)300人(14)
6188人(7)295人(14)
7177人(7)277人(13)
8180人(7)276人(14)
9172人(7)263人(12)
10161人(7)247人(11)
11151人(7)240人(10)
12139人(7)227人(9)
13137人(7)217人(9)
14統合341人(14)
( )内の数字は学級数

 第一・第二大成小学校の統合が話題に上ったのは、平成に入ったころである。大規模な校庭に小さな集団を作っている全校児童を見て「子ども達に勢いが感じられない」「これでは運動会にマスゲームもできない」という父母の声が、第一大成小学校から出たというが、それが統合のきっかけになったようである。また市教委が「学校規模適正委員会」に、第一・第二大成小学校の統合を諮問したのは平成二年(一九九一)、適正委員会は両校児童の推移を見守り、平成十一年(一九九九)十一月、両校の統合の実施を答申した。
 それを受けて市教委は、両校PTA、両校学区内各町会、あるいは同窓会等に木目細かな事情説明を加えて、両校統合に万全を期した。両校とも伝統を誇る小学校だけに、統合は難航しそうに思われたが、案外スムーズに実施できたのは、市教委の二年にわたる根回しのよさによる。
 統合小学校の校名は「大成」とすることに両校とも異議なく、校名は第一・第二に分かれる前、すなわち創立時の校名に還ることになった。弘前市立大成小学校は平成十四年(二〇〇二)四月一日をもって発足した。児童数三四一人、一四学級(うち特殊学級二)編成、教職員二五人、校長は平川泰男である。
 大成小学校校舎は、弘前市御幸町一三番地一、旧第二大成小学校跡地に新築することにしたが、新校舎落成まで土手町一五四の一旧第一大成小学校校舎に児童を収容、校舎落成の平成十七年三月末に移転した。