学校統合の推進

637 ~ 638 / 965ページ
学校統合の問題は昭和三十年三月の市村合併と同時に表面化し、教育的見地から具体的に話が進められてきたが、各校とも歴史と伝統のある地域の中学校だけに、廃校または統合するかは、市村合併とは違った困難を伴う問題であった。
 昭和三十二年七月、市教育委員会は学校統合計画案を策定した。
 1 教育水準の向上と学校経営の合理化を図るため、施設設備と教員組織の充実を企図する。
 2 現状のみにとらわれず将来の生徒数を検討し、老朽校舎、不足教室対策を十分に考慮する。
 3 学校統合の重点を中学校に置き、小学校は最小限にとどめる。
 以上の三点に重点を置きつつ、昭和三十三年度から次の統合計画を推進していくことにした。
和徳中学校を廃止し、第一中学校に統合する。②草薙中学校を廃止し、新和中学校に統合する。③藤代中学校を廃止し、第二中学校に統合する。④第三中学校学区の一部と堀越中学校及び豊田中学校を統合し、新たに第五中学校を設置する。⑤千年中学校を廃止し、第三中学校に統合する。⑥清水中学校を廃止し、第四中学校に統合する。⑦自得中学校を廃止し、高杉中学校に統合する。

 統合計画案は決定したが、統合は遅々として進まなかった。新市の側に問題がないときは、旧市の父兄が難色を示したり、その逆の場合もあったりで、実施は難航をきわめたが、昭和三十三年(一九五八)四月一日に和徳中学校と第一中学校との統合は成功し、実施された。