スポーツ王国義塾

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戦後の復興期を乗り越え、教育設備が着々整えられると、その効果はスポーツ面にも表れるようになった。特にスキー競技の全国制覇は二十七年のリレー優勝に始まり、翌年に二連覇。総合でも二位に躍進した。三十三年の宮城県鳴子でリレー一位、二川原錬造の個人複合優勝などで得点を上げ、念願の初優勝を果たした。三十五年の小樽を経、三十八年の大鰐で総合三度目の全国優勝という偉業を成し遂げた。この勢いは、さらに四十三年の水上、四十六年の田沢湖と続いた。これだけの総合優勝をがち得たチームは東奥義塾をおいてなく、さらに、木村公宣ら数多くの卒業生をオリンピック選手として送り込んでいる。
 硬式野球も、甲子園に限ってみても、三十三年夏、一回戦で高知商と対戦、六対一で敗退。三十八年夏、二回戦で高知高と対戦、四対三で撃破。三回戦で今治西と対戦、惜しくも三対一で敗れたが、四国勢と互角に戦った。四十二年夏は一回戦で四日市高を三対一で下し、二回戦で名門報徳高を二対〇で連覇。本県初の準々決勝に進出し、善戦したが、強豪広陵高に五対〇で敗れた。この戦績は、かの三沢高の死闘に次ぐ名勝負として、野球ファンばかりでなく、青森県民の熱い興奮と感動を呼んだ。
 このほか卓球、相撲、自転車、馬術、ボクシングなどにも活躍が目立った。相撲では、三十二年、三十三年にわたって、東北大会、全国選抜高校選手権大会でそれぞれ団体優勝をしており、バレーボール、陸上競技、剣道、弓道など、多彩な活動が特色で、高いレベルを維持している。
 芸術、文化活動でも、開放的な校風を反映してか、ユニークなものが多い。英語弁論大会では、県内はもちろん、東北地区大会でも優秀な成績を残しており、弘前市民に広く親しまれている「メサイア演奏会」に草創期から出演しているグリークラブの活躍もめざましい。これは、教職員が一丸となった献身的な指導の賜物であり、東奥義塾高校の多方面にわたる躍進を支えていることは論をまたない。

写真202 メサイヤ演奏会