昭和五十年(一九七五)十一月二十六日から八日間、一九二時間に及ぶ国鉄・専売・電信電話の三公社と郵政・林野・印刷・造幣・アルコール専売の五現業労働組合、公労協一〇単組によるスト権奪還ストは、国民生活にさまざまな混乱を与えたが、なんらの具体的成果を得ず収束した。スト権奪還とは、公労協「二七年間の悲願」だった。昭和二十三年マッカーサー書簡に基づいて政令二〇一号が制定され、やがて公共企業体で働く労働者は違憲性を多分に持つ公共企業体労働関係法によって、争議権が禁止されたのだった。
このスト権奪還ストの敗北以後、日本の労働組合は、労働運動によって社会の仕組みを改革しようとした従来の路線から、労働組合は組合員の生活にのみかかわり、政治や政党との関係を持つべきでないとするいわゆる労働組合主義に変わった。昭和六十年四月日本電信電話公社や専売公社は民営化され、日本国有鉄道も六十二年四月分割、民営化されてJRとなり、公労協は消滅し、民間並みの厳しい競争社会に立だされている。