県詩壇の重鎮・一戸謙三

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一戸謙三(いちのへけんぞう)は明治三十二年(一八九九)、弘前市本町に生まれた。大正七年に慶応義塾大学医学部予科に合格。上京中に福士幸次郎集『太陽の子』に感動し、翌年の「パストラル詩社」に参加することになる。以後、帰省し、教員を務めるかたわら、幸次郎の提唱する地方主義運動に共鳴、作や評論を再開した。常に県壇のトップとしてその指導力を十全に発揮した。方言詩集『ねぷた』所収の「弘前(シロサギ)」(資料近・現代2No.六四七)は、郷土絶賛ので、五木寛之をして嫉妬させたほどの郷土愛にあふれたである。平成十一年十一月、弘前市の藤田記念庭園前に、その「弘前(シロサギ)」の一節を碑文にした文学碑が建立された。なお、平成九年には方言詩「麗日(オデンキ)」が中学国語二年の教科書に採用されている。昭和五十四年(一九七九)、死去。

写真251 一戸謙三