高木恭造(たかぎきょうぞう)(明治三六-昭和六二 一九〇三-一九八七 青森市)が大正十五年(一九二五)四月に青森日報社に入社したとき、初めて
福士幸次郎と出会い、以後大きな影響を受けることになる。方言でしか表現し得ない独特の世界を描き出し、人々に大きな衝撃を与えた『まるめろ』が刊行されたのは、六年後の昭和六年(一九三一)のことであった。すでに青森日報社を退社し、
満州医科大学で学んでいた
高木恭造は、十四年には第三
詩集『鴉(からす)の裔(すえ)』で第一回
満州文話会作品賞(資料近・現代2No.六四八)を受賞するなど、医学を学びながら
詩作にも励んでいた。
終戦後に
満州を引き揚げ、弘前市で眼科医院を開業、以後精力的に朗読会を開き、
方言詩の魅力を全国に広げることになる。
写真253 高木恭造と『まるめろ』