第三節 音楽界の様相

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 音楽文化は、明治期にそれまでの様相を大きく変化させた。その要因の一つは西洋音楽の流入であり、第二は藩制の解消による他地域との自由な交流である。学校教育の場で西洋音楽が導入され、五節句の廃止が伝統音楽の衰退の一因となった。七夕に行われるねぷたは因習にとられた蛮行として虫送りや他の風俗とともに禁じられた。民俗芸能は季節ごとの祭祀(さいし)や生業形態と深くかかわり、旧暦における特定の月日に行われていた。旧弊を改めるべく、学校教育の場が用いられ「祝日祭日儀式規定」によって新たな祭日が設けられた。一方、社会的には士農工商の枠内に閉じられていた文化が開かれ、また地域を超えた全国的な音楽潮流に導かれていった。大正期には日本音楽界がたどった潮流と同じく、西洋音楽の定着と、新民謡運動童謡運動などの流れがあり、昭和初期は西洋音楽を消化し、そのレベルへ接近しようとした時代であり、また軍国主義に迎合した音楽が鳴り響いていた歳月であった。第二次大戦後の傾向は一言では要約できないが、戦争中の閉塞(へいそく)、規制が取り払われ、邦楽民謡流行歌現代音楽など多種多様な様相を呈して現在に至っている。
 以上のように概観できるが、藩政期の音楽が、明治期に突如として消滅したのではなく、特に古典邦楽といわれる分野では緩やかな変質をみせながら現在に継承されてきているものがあり、また、廃絶したものもあった。明治、大正、昭和、平成と時代区分ごとに記述せず、分野ごとに述べる。歴史的背景を明らかにするために、藩政期における状況や創始にかかわる事実も簡単に説明する。