本県スキーの父・油川貞策

940 ~ 941 / 965ページ
明治四十四年(一九一一)一月、新潟県高田師団で、オーストリアのレルヒ少佐がスキーの指導をしたのが、わが国のスキーの事始めといわれている。
 翌四十五年一月五日から三週間の講習会に参加し、レルヒ少佐からスキー技術を学んだ第八師団の四人の将校の中に、大鰐町出身の油川貞策(あぶらかわていさく)中尉がいた。本県初のスキーヤーの誕生である。したがって、大鰐町のスキーの歴史はわが国のスキーの歴史とその軌を一にしているといえよう。
 油川中尉の全面的な指導を得ながら、大鰐町は〈競技スキーのメッカ〉として全国にその名を轟(とどろ)かすことになる。大正十四年(一九二五)一月十四日に開催された、大鰐での初めての全国大会「第三回全日本スキー大会」に油川は協力を惜しまなかった。当時、第三一連隊の中隊長だった油川は、「本日の演習は大鰐町あじゃら山方面」と号令をかけ、毎日のように演習の名目でスキー場の整備に当たったという。翌十五日、大会閉会式後に、「全日本スキー連盟」が誕生する。以来、昭和三年に開催された「第一回全日本学生スキー選手権」をはじめ、各種全国大会が開かれ、名選手が輩出し、青森県はスキー王国の伝統を築いていく。
 本県スキーの父と呼ばれた油川貞策は、昭和十年に建立された、わが国唯一の「スキ神社」に祀(まつ)られ、本県のスキーの隆盛を見守り続けている。

写真307 油川貞策