飯塚の石炭ものがたり

炭都たんとのにぎわい

明治時代以降めいじじだいいこう石炭産業せきたんさんぎょう発展はってんとともに、全国各地ぜんこくかくちから炭鉱たんこうではたらくひとたちがたくさんうつんできます。
鉄道てつどう道路どうろ整備せいびされ、たくさんの商店街しょうてんがいができ、飯塚いいづかのまちはどんどんおおきくにぎわうようになりました。
まちがおおきくなると銀行ぎんこうてられ、さらには映画館えいがかん劇場げきじょうなどもできます。
芝居小屋しばいごやは、最盛期さいせいきには50以上いじょうありましたが、今残いまのこっているのは嘉穂劇場かほげきじょうのみです。
明治めいじ17ねん(1884)には飯塚市いいづかし中心ちゅうしんにあった飯塚町いいづかまち商店街しょうてんがいでは年末ねんまつ大売おおうしの「永昌会えいしょうかい」がはじまりました。
永昌会えいしょうかい」はいまでもおこなわれていますね。
わたしもおかあさんとおとうさんとったよ!
そんなにむかしからつづいていたなんてらなかったなあ。
映画えいが芝居しばいのほかに、むかしのひとたちはどんなことをたのしんでいたでしょうか。
むかしのどもたちもみなさんとおなあそびをしていたかもしれません。