概要
|
渋江晩香の長子。名を公寧、字は子静。7歳頃から父について勉学に励み、16歳で晩香の私塾「遜志堂(そんしどう)」での教育に携わる一方で、龍門に開校した白木小学校の教育を手伝う。 18歳で入学した熊本師範学校では、3年の課程をわずか1年にして抜群の成績で修了し、卒業後は隈府町の菊池小学校に赴任。その後菊池中学校でも教鞭を執るなど、菊池の公教育にも大いに尽力した。 政治家としての一面もあり、31歳で県会議員に、37歳のときには衆議院議員に当選。菊池郡名存続へ貢献した。 1896年(明治29年)、39歳で亡くなる。
|