うだつの町並み~城下町コース
脇城の城下町、また藍の集散地として発展した「うだつの町並み」を中心に脇町地区を巡る歴史散歩コースです。「阿波北方」と呼ばれる徳島県北部の吉野川流域は、日本一の藍染料の産地として、美馬市を含む9市町村が2019年に「藍のふるさと阿波」として日本遺産に認定されました。
- 発着地点
- 美馬市地域交流センター ミライズ
- 距離
- 約3.3km
- 所要時間
- 約60分※所要時間には、見学に要する時間は含まれていません。
- 美馬市地域交流センター ミライズ
-
- 0.1km
- 約2分
- ①司馬遼太郎『街道をゆく』の看板
うだつまる像 -
- 0.06km
- 約1分
- ②脇町劇場オデオン座
-
- 0.1km
- 約2分
- ③うだつの町並み
-
- 0.06km
- 約1分
- ④旧脇町図書館
- ⑤落久保の屋台
-
- 0.13km
- 約2分
- ⑥吉田家住宅
-
- 0.13km
- 約2分
- ⑦船着き場公園
-
- 0.9km
- 約17分
- ⑧脇人神社
-
- 0.16km
- 約3分
- ⑨脇城址を望む
-
- 0.1km
- 約2分
- ⑩貞真寺
-
- 0.06km
- 約1分
- ⑪稲田墓所
-
- 0.15km
- 約5分
- ⑫秋葉神社
-
- 0.4km
- 約10分
- ⑬東林寺
-
- 0.25km
- 約5分
- ⑭安楽寺
-
- 0.1km
- 約2分
- ⑮真福寺
-
- 0.06km
- 約1分
- ⑯本覚寺
-
- 0.26km
- 約5分
- ⑰中町通り
-
- 0.3km
- 約5分
- 美馬市地域交流センター ミライズ
①司馬遼太郎『街道をゆく』の看板
うだつまる像
昭和63(1988)年2月、作家の司馬遼太郎さんが『街道をゆく』の阿波紀行の旅で脇町を訪れたことを紹介しています。『街道をゆく 三十二 阿波紀行 紀ノ川流域』(司馬遼太郎/著 朝日新聞社/出版) 阿波紀行 九 「脇町のよさ」 その隣には、当地区を象徴する「うだつ」をモチーフとした美馬観光ビューローのマスコットキャラクター「うだつまる」の像があります。
②脇町劇場オデオン座
美馬市指定有形文化財
昭和9(1934)年に建築。戦前は芝居小屋、戦後は映画館として賑わい、平成7(1995)年に閉館しました。その後、取り壊される予定でしたが、平成8(1996)年に山田洋次監督の映画『虹をつかむ男』のロケ舞台となったことがきっかけで、昭和初期の創建時の姿に修復され、花道や回り舞台、奈落などが一般公開されています。二階には映画「男はつらいよ」の第1作~48作のポスターが飾られています。
③うだつの町並み
国選定重要伝統的建造物群保存地区
脇町南町の「うだつの町並み」は江戸時代から阿波藍の集散地として栄えた商家町で、東西約400mの通りを中心とする地区に、江戸中期から昭和初期の歴史的な建造物が立ち並んでいます。 「うだつ」とは、隣家の間に取り付けられる防火壁のことですが、次第に装飾が施され、商人の財力の証や富の象徴として発達しました。ことわざ「うだつが上がらない」の語源となったといわれています。
④旧脇町図書館
明治期には呉服屋として、大正期には農業倉庫として使われていた建物を、昭和61(1986)年に神戸大学・重村力名誉教授の設計で増改築され、脇町図書館として、平成29(2017)年12月まで31年間利用されました。白壁に書かれている「脇町立図書館」の白い浮き字はその名残です。
⑤落久保の屋台
美馬市指定有形民俗文化財
大正14(1925)年、猪尻の建築家 實藤了の製作。前面には三宅昌斉(小十郎)の彫刻がされており、太鼓台には玉取姫、波には蓬莱亀が取付けられています。また、両側の柱に裸龍が、周辺には唐草・松・鶴などの彫刻があります。屋台の担ぎ台には、脇人神社の神紋「四割菱」と高良神社の神紋「鷹の違い羽根」が金属板に刻まれています。脇人神社にまつられている脇城主武田信顕の子・信定の命日である10月22日に屋台が出されていました。
⑥吉田家住宅
美馬市指定有形文化財
寛政4(1792)年に初代吉田直兵衛によって創業された藍商の家屋。屋号は「佐直」。脇町で最も広い敷地(約600坪)を有し、主屋・質蔵・中蔵・離れ屋・藍蔵が中庭を囲むように建ち並んでいます。また、当時裏手を流れていた吉野川に直接降りられるように造られた階段状の船着場跡があります。
⑦船着き場公園
近世から明治・大正まで、貨物の運搬は吉野川の水運を利用した帆掛け舟が主流でした。吉野川は、春から夏にかけて東風が吹くので、八反帆をかけた平田船が次から次へと荷物を満載して川を上下していました。脇町は江戸期から明治期にかけて、阿波藍の集散地として栄え、この一帯は河川交易の玄関口であり、船着き場と呼ばれていました。段状に連なる石垣はその遺構であり、その高さは昔の吉野川の氾濫が高水位であったことを物語っています。
⑧脇人神社
『阿波志』によると、慶長年間に脇城主・稲田植元が、脇城丸の内に、武田信玄の異母弟にあたる武田信顕と、その子である武田信定を祀るために脇人大名神を祀ったのが始まりとされています。明治8(1875)年には南町にあった高良神社を合祀しました。脇城の水壕跡が神社の東側に遺っています。
⑨脇城址を望む
吉野川中流域の防衛拠点だった岩倉城の脇を固めるために三好長慶が築城したと言われています。長宗我部元親の阿波侵攻や、豊臣秀吉の四国征伐の舞台となりました。その後、戦国時代を経て、脇城とその周辺は蜂須賀家家臣の稲田氏によって本格的に城下町として整備されました。
⑩貞真寺
美馬市指定有形文化財(貞真寺山門)
曹洞宗永平寺派。脇城主であった稲田稙元が母貞真尼の菩提を弔うために建てられ、稲田家の菩提寺となりました。しかし稲田氏は、元和元(1615)年の淡路国加封により、嘉永8(1631)年に淡路城代となり脇町を離れます。そのため、二代目以降の墓所はこの脇町の貞真寺にはありません。昭和30(1955)年3月14日の火災により、貞真寺にあった文化財は山門を残してすべて焼失してしまいました。 その後、有志により平成28(2016)年に60年ぶりに本堂が再建、令和元(2019)年には老朽化した山門も再建され、現在に至ります。
⑪稲田墓所
美馬市指定史跡
稲田家の菩提寺である貞真寺の境内にあります。土塀で囲まれ、南側中央に稲田家家紋を彫った門があり、門前には石灯籠が並んでいます。墓所には、稲田稙元とその妻、両親、兄2人の計6人の墓があります。
⑫秋葉神社
脇町は、江戸時代、たびたび大火に見舞われた歴史があります。特に文政12(1829)年12月31日の大火では169軒が消失し、大きな被害を受けました。 そこで火除けのために遠江国(静岡県)の秋葉神社の勧請により「火の神」を祀ったのが始めとされます。
⑬東林寺
美馬市指定有形文化財(東林寺山門)
美馬市指定名勝(東林寺庭園)
寺伝によれば、大永2(1522年)年に照誉上人が脇氏の求めに応じて創建した浄土宗寺院。本尊は十一面観音菩薩。山門と庭園が美馬市の文化財に指定されています。 【東林寺山門】一間一戸の鐘楼門で、階上には銅鐘が吊るされた鐘撞堂があります。 【東林寺庭園】作庭の時期は室町時代末期とされ、徳島市阿波国分寺庭園、美馬市願勝寺庭園、つるぎ町多聞寺庭園などと同様に県下でも古い庭園の一つです。