美馬市立図書館/美馬の記憶 デジタルアーカイブ
みま歴史散歩

猪尻(いのしり)コース

脇町(わきまち)猪尻地区(いのしりちく)には、この地域(ちいき)(おさ)めた稲田氏(いなだし)とその家臣(かしん)屋敷(やしき)があり、今もその面影(おもかげ)(のこ)すゆかりの史跡(しせき)が多く(のこ)っています。

発着地点
美馬市地域交流センターミライズ
距離
約2.6km
所要時間
約45分※所要時間には、見学に要する時間は含まれていません。

神全塾(しんぜんじゅく)

神全塾

武田氏(たけだし)私塾(しじゅく)である神全塾は、稲田家家臣(いなだけかしん)剣術(けんじゅつ)漢学(かんがく)俳文(はいぶん)などの文武両道(ぶんぶりょうどう)を学ぶ場でした。稲田家(いなだけ)の有名な家臣(かしん)はほとんどこの門下より輩出(はいしゅつ)されています。

石灯籠(いしどうろう)

石灯籠

稲田家(いなだけ)浜屋敷(はまやしき)(まつ)られていた三所神社(さんしょじんじゃ)(後に上野八幡神社に遷座(せんざ))の石灯籠(いしどうろう)があります。

稲田屋敷看板(いなだやしきかんばん)

南岸用水 脇町潜水橋

猪尻(いのしり)には、この土地(とち)(おさ)めた稲田氏(いなだし)屋敷(やしき)と、「猪尻侍(いのしりざむらい)」と()ばれるその家臣(かしん)の集落がありました。稲田(いなだ)屋敷(やしき)看板(かんばん)が、バイパス沿()いにあります。すぐそばの堤防(ていぼう)からは、吉野川(よしのがわ)に架()かる脇町潜水橋(わきまちせんすいきょう)(のぞ)むことができます。

稲田屋敷西屋敷門(いなだやしきにしやしきもん)

稲田屋敷西屋敷門

西屋敷(にしやしき)稲田氏(いなだし)北海道(ほっかいどう)移住後(いじゅうご)家臣(かしん)尾形長栄(おがたちょうえい)譲渡(じょうと)されたようです。現在(げんざい)は門だけが(のこ)っています。

染堂(そめどう)・お染狸(そめたぬき)民話(みんわ)

お染堂・お染狸の民話

この地域(ちいき)には、女の人に化けて人をたぶらかしたという「お(そめ)(だぬき)」の民話(みんわ)(つた)わっています。お(そめ)(だぬき)が店の名前の由来となった生菓店の看板(かんばん)(のこ)っています。

脇町(わきまち)キリスト教会(きょうかい)

脇町キリスト教会

脇町(わきまち)におけるキリスト教の伝道(でんどう)筒井製糸脇町工場内(つついせいしわきまちこうじょうない)より始まり、南町(みなみまち)筒井製糸社宅(つついせいししゃたく)にあった伝道所(でんどうしょ)は教会となり昭和32年に現在地(げんざいち)(うつ)りました。

工藤剛太郎(くどうごうたろう)()

工藤剛太郎の碑

稲田家(いなだけ)家臣(かしん)関口流剣術(せきぐちりゅうけんじゅつ)達人(たつじん)工藤剛太郎(くどうごうたろう)(しの)んだ記念碑(きねんひ)があります。

上野八幡神社(うえのはちまんじんじゃ)

上野八幡神社 上野八幡神社 上野八幡神社 上野八幡神社

洪水(こうずい)土佐(とさ)から流れて、猪尻(いのしり)のセンダンの木にかかった八幡神(やわたのかみ)(まつ)ったものとされます。戦国時代(せんごくじだい)脇城主(わきじょうしゅ)武田信顕(たけだのぶあき)創建(そうけん)し、軍神(ぐんしん)でもあるこの神を脇城(わきじょう)守護(しゅご)としました。明治(めいじ)・大正期には八幡下(はちまんした)で農具市が盛大(せいだい)に開かれていました。

旧長岡家住宅(きゅうながおかけじゅうたく)

旧長岡家住宅 旧長岡家住宅 旧長岡家住宅 旧長岡家住宅

もとは脇町大字西大谷地区(わきまちおおあざにしおおたにちく)の山の中腹(ちゅうふく)()っていましたが、昭和54年に現在(げんざい)()解体移築(かいたいいちく)されました。寄棟造(よせむねつく)茅葺(かやぶ)き、外壁(がいへき)土壁(つちかべ)で、雨が少ない讃岐地方(さぬきちほう)民家(みんか)特徴(とくちょう)が見られます。棟札(むなふだ)(のこ)されており、享保(きょうほう)20(1735)年に()てられたことが確認(かくにん)されました。

最明寺(さいみょうじ)

最明寺 最明寺 最明寺 最明寺

弥天山(みてんざん)常光院(じょうこういん)真言宗(しんごんしゅう)大覚寺派(だいかくじは)。「萩寺(はぎでら)」とも()ばれ、毎年9月初旬(しょじゅん)前後に見ごろを(むか)える(はぎ)の花が境内(けいだい)(いろど)ります。国指定重要文化財(くにしていじゅうようぶんかざい)木造毘沙門天立像(もくぞうびしゃもんてんりつぞう)」があり、毎年4月3日に公開されています。また、「地蔵来迎図(じぞうらいごうず)」などの県指定文化財(けんしていぶんかざい)保存(ほぞん)されています。この寺には、北条時頼(ほうじょうときより)滞留(たいりゅう)したという伝説(でんせつ)(のこ)されています。

尾形長栄(おがたちょうえい)(はか)

尾形長栄の墓

稲田家(いなだけ)家臣(かしん)尾形(おがた)長栄(ちょうえい)(はか)があります。文武(ぶんぶ)(すぐ)れ、幕末(ばくまつ)維新(いしん)に勤王に()くし、隊長(たいちょう)となって各地(かくち)出陣(しゅつじん)しました。

オデオン()

オデオン座

昭和9(1934)年に建築(けんちく)戦前(せんぜん)芝居(しばい)小屋、戦後(せんご)映画館(えいがかん)として(にぎ)わい、平成(へいせい)7(1995)年に閉館(へいかん)しました。その後、取り(こわ)される予定でしたが、平成(へいせい)8(1996)年に山田洋次(ようじ)監督(かんとく)映画(えいが)(にじ)をつかむ男』のロケ舞台(ぶたい)となったことがきっかけで、昭和初期(しょうわしょき)創建時(そうけんじ)姿(すがた)修復(しゅうふく)され、花道や回り舞台(ぶたい)奈落(ならく)などが一般(いっぱん)公開されています。二階には映画(えいが)「男はつらいよ」の第1作~48作のポスターが(かざ)られています。

中樽井(なかだるい)大師堂(たいしどう)

中樽井の大師堂 中樽井の大師堂

大師堂(だいしどう)の前には、腹痛(ふくつう)霊験(れいげん)あらたかとされる地蔵尊(じぞうそん)があります。