舞中島コース
舞中島は、うだつの町並みから潜水橋を渡った対岸にあり、吉野川とその支流である明連川に挟まれた川の中島です。ここは、川の中島という地形特性のため頻繁な洪水被害に遭いましたが、その反面、洪水によって運ばれた肥沃な土壌は藍の栽培に適しており、藍の一大生産地となりました。藍の集散地として栄えた「うだつの町並み」で知られる対岸の脇町を支えたのがこの舞中島です。各所にのこる洪水遺産が当時の繁栄をよく物語っています。
- 発着地点
- 三島会館
- 距離
- 約3.5km
- 所要時間
- 約63分※所要時間には、見学に要する時間は含まれていません。
①光泉寺
真言宗大覚寺派。高石垣の上に本堂が立ちます。境内には、昭和29(1954)年のジューン台風の際の冠水水位座標があります。寺の角の高地蔵は、度重なる洪水被害に遭った舞中島の歴史を物語っています。
②アインシュタイン友情の碑
三宅速は、福岡医科大(現九州大学医学部)初代外科部長となった人物、内臓外科の名手で特に胆石症研究の世界的権威でした。大正11(1922)年には、欧米留学の帰途の船中で、同乗していたドイツの物理学者アインシュタイン博士の急病を治療し救ったことから親交が始まりました。三宅速夫妻は昭和20(1945)年に空襲にて岡山県で没しますが、昭和29(1954)年、舞中島光泉寺に夫婦の墓を建立するにあたり、二人の死を悼んだアインシュタイン博士から寄せられた自筆の追悼文が碑文として刻まれています。
③高石垣住宅
舞中島には石垣でかさ上げした敷地内に建てられた建物が多く残っています。また敷地の外周には、倒木の流入を防ぐための生垣や竹をめぐらせ、敷地の上まで増水した場合でも、倒木などの流入を最小限に抑える工夫が凝らされています。
⑤十二所神社常夜灯
この付近から鳥居までは、十二所神社馬場として祭事に用いられたほか、競馬などいろいろな行事が行われていたようです。兵助日記(『半田町誌』所収)には、藩政期には脇城主稲田氏がここで競走馬を観覧したことが記されています。