都城を知る·学 ぶ
このページでは、都城市がどんな地域であるかや、都城島津家について紹介しています。都城市に住む小学生のみやこさん・じょうさん、第15代都城島津氏当主の北郷久直をモデルとして生まれたキャラクター・ひさなおくんと一緒に楽しく学ぶことができます。
- 01.都城市ってどんなところ?
- 02.都城市が「島津発祥の地」といわれるのはなぜ?
- 03.どうして「都城」っていう名前なの?
- 04.都城市と都城島津氏
- 05.都城島津氏を強くした立役者・北郷忠相
- 06.江戸時代の都城島津氏
- 07.都城島津氏の歴史(明治)
- 08.都城島津氏に伝えられた史料
- 09.都城島津氏の古文書・古記録
- 10.都城島津氏の美術工芸品
01.都城市ってどんなところ?
都城市といえば自然が豊かで畜産業や農業が盛んな「肉と焼酎のまち」として有名だよね!
みやこさん、よく知っているね。都城市は昔から豊かな自然を生かした食べものの文化があったんだよ。
都城市は、まわりを山に囲まれた盆地で、霧島の山からたくさんの水が流れてくるんだ。また、火山の灰でできた土が多く、そのおかげで作物がよく育つんだよ。だから、昔から、米やさといも、かんしょ、茶などの栽培が盛んだったんだ。
また、牛や豚、にわとりをたくさん育てていて、その数は全国トップクラスなんだよ。
都城市は、まわりを山に囲まれた盆地で、霧島の山からたくさんの水が流れてくるんだ。また、火山の灰でできた土が多く、そのおかげで作物がよく育つんだよ。だから、昔から、米やさといも、かんしょ、茶などの栽培が盛んだったんだ。
また、牛や豚、にわとりをたくさん育てていて、その数は全国トップクラスなんだよ。
自然豊かな土地だから食の文化も発展したんだね。古い記録にも食文化について記されていることになっとく!
くわしく知りたい
02.都城市が「島津発祥の地」といわれるのはなぜ?
都城市内で「島津発祥の地」と書いてある看板を見つけたんだけれども、どういうことなのかな?
じょうさん、いいところにきがついたね!
今から約1000年前に、宮崎県から鹿児島県にまたがって「島津荘」という大きな土地があって、都城市はその中心地となっていたんだ。また、約850年前に、その土地の管理人となった惟宗忠久という人が、島津荘から島津の名前をとって、「島津忠久」と名のりはじめたんだ。
これらのことから、都城市が「島津発祥の地」といわれるようになったんだよ。
今から約1000年前に、宮崎県から鹿児島県にまたがって「島津荘」という大きな土地があって、都城市はその中心地となっていたんだ。また、約850年前に、その土地の管理人となった惟宗忠久という人が、島津荘から島津の名前をとって、「島津忠久」と名のりはじめたんだ。
これらのことから、都城市が「島津発祥の地」といわれるようになったんだよ。
都城市は自然や食べ物だけじゃなくて、歴史も豊かなところなんだね!
たずねてみよう
03.どうして「都城」っていう名前なの?
どうして都城市は「都城」って名前になったのかな。なにか理由があるのかな?
今から約650年前(1375年ごろ)、北郷義久という人が都島の地(現在の都島町)に城をたてたと伝えられているんだ。「都島にある城」だから、この城を「みやこのじょう」と呼ぶようになり、それが、市の名前「都城」の由来になったといわれているよ。
ちなみに、北郷氏は、この「都城」を拠点にして力を伸ばしていったんだ。
ちなみに、北郷氏は、この「都城」を拠点にして力を伸ばしていったんだ。
とても古くから「みやこのじょう」という名前があったんだね。城の名前が由来になっているなんてかっこいい!
くわしく知りたい
04.都城市と都城島津氏
都城市の歴史について調べると、よく「北郷」や「都城島津」という名前をみかけるね。いったいどんな人たちなのかな?
北郷氏は、約670年前(1352年ごろ)に島津氏という大きな家から分かれてできた武士の家なんだよ。北郷という土地をもらったことにちなんで北郷と名のりはじめたんだ。そこから北郷氏は力を強くして、都城盆地全体を治めるようになったんだ。また、江戸時代のはじめ(今から約360年前)になると、「島津」という名前にもどして、「都城島津氏」とよばれるようになったんだよ。
とても長い歴史のある家で、都城市の歴史を知るうえで欠かせない人たちなんだね。
くわしく知りたい
05.都城島津氏を強くした立役者・北郷忠相
長い歴史をもつ都城島津氏だけれども、有名な人っているのかな?
たくさんのすごい人びとがいたんだけれども、都城島津氏でとくに有名な人物といえば、8代目の北郷忠相だね。日本中で戦いがつづいていた時代(戦国時代というよ)の都城島津氏のリーダーで、都城盆地全体の統一に成功した人なんだよ。のちの都城島津氏の人びとから、都城島津氏を強くした人として尊敬されていて、忠相のものと伝わる「かぶと」と「よろい」は、代々大切に保管されてきたんだ。
とってもかっこいい「かぶと」と「よろい」だね。これを着た北郷忠相は、きっとすごく強い人だったんだろうなあ。
くわしく知りたい
06.江戸時代の都城島津氏
都城島津氏といえば「都城のおとのさま」というイメージがあるのだけれども、どういうことなのかな?
今から約430年前から約160年前の江戸時代、都城市は島津氏が治める鹿児島藩という地域にふくまれていたんだ。鹿児島藩はとても広くて、いくつもの地域に分けて治められていたんだ。
このうち、旧都城市と旧山田町は、鹿児島藩の中の「都城領」として都城島津氏が治めていたんだよ。都城島津氏の人びとが仕事を行うため、現在の都城市役所周辺に領主館という建物がたてられたんだ。この領主館を中心にまちが作られていって、今の中心市街地の原型になっていったんだよ。
このうち、旧都城市と旧山田町は、鹿児島藩の中の「都城領」として都城島津氏が治めていたんだよ。都城島津氏の人びとが仕事を行うため、現在の都城市役所周辺に領主館という建物がたてられたんだ。この領主館を中心にまちが作られていって、今の中心市街地の原型になっていったんだよ。
江戸時代における都城のリーダーだったんだ!それに、今のまちの姿ができあがるまでに、都城島津氏が大きく関係していたんだね。
くわしく知りたい
07.都城島津氏の歴史(明治)
武士の時代が終わったあと、都城島津氏の人びとはどこで暮らしたのかな。
武士の時代が終わると、都城島津氏は都城領主の役割をおえて、領主館を手放すことになったんだ。そして明治12年(1879年)に、現在の都城市早鈴町の土地に邸宅をたてて、そこに住んでいたんだ。この邸宅は、部屋を増やして広くしたり、つくりかえたりしながら現在まで残っているよ。また、同じ敷地の中には庭が作られたり、いろんな建物がたてられたりしたんだ。
古くて貴重な建物が残ったんだ!今では博物館「都城島津邸」として見学ができるんだよね。
くわしく知りたい
08.都城島津氏に伝えられた史料
ここまで、都城島津氏が長い歴史をもつことや、かつて住んでいた邸宅が残っていることを学んできたけれど、ほかにはどんなものが残っているのかな?
都城島津氏では代々、古い書物や手紙、武士が使う道具など、いろんな種類のものがうけつがれてきたんだ。その数は約1万点にもなるんだよ。長い間、都城島津邸の中の蔵で保管されてきたもので、現在では、都城島津伝承館という建物で保存・展示公開されているんだ。
約1万点!?とっても多くの史料が残っているんだね。ぜひ見に行ってみたいな!
くわしく知りたい
09.都城島津氏の古文書・古記録
都城島津伝承館を見学してみると、むかしの人が書いた手紙や、むかしのできごとを書きとめたものがたくさん展示されていたよ。
むかしの人が書いた手紙や書類を「古文書」、むかしのできごとを書きとめた日記や記録を「古記録」とよぶよ。都城島津氏のもとにはたくさんの古文書や古記録が伝わっていて、その数は9000点をこえるんだ。すごいのは、その数の多さだけでなく、都城市や日本の歴史を知る上で貴重なものもあるんだよ。
とても数が多いし、むかしの文字だから読むのがむずかしそう…。でも、今の文字と比べながら読める画面もあるんだね。
くわしく知りたい
10.都城島津氏の美術工芸品
都城島津伝承館の展示では、古文書や古記録のほかにも、かっこいいよろいやとってもきれいな絵を見ることができたよ。
都城島津氏のもとには代々、当主の姿をえがいた絵や、「よろい」や「かぶと」、「びょうぶ」、戦いで使った道具など、いろいろなものが今ものこっているよ。たくさんのこっているだけでなく、どれもとてもりっぱで、すばらしいものばかりなんだ。
きれいな画像で見ることもできるから、とても便利だね!

