西宮市/にしのみやデジタルアーカイブ

西宮でなぜ酒づくりが発展していったのだろう?

<検証③>西宮にしのみやでつくられたさけはどうやってはこばれた?

では、最後さいご西宮にしのみやでつくられたおさけはどこにどうやってはこばれたのか、についてみていきたいとおもいます。
二人ふたりはどうおもいますか?
ワークシートポイント
西宮にしのみやでつくられたおさけは、西宮にしのみやんでいたひとびとがんでいたんじゃないの?
どこかにはこばれたんだったら、やっぱりひとがたくさんいた江戸えどとかなのかな?
じつは、西宮にしのみやでつくられたおさけおおくは、江戸えどはこばれていました。
やっぱり江戸えどはこばれていたんだ!どうやってはこんだのかな?江戸時代えどじだいだと、くるま新幹線しんかんせん飛行機ひこうきもないし…。
それはいまから一緒いっしょさぐっていきましょう。
ここでも2つのポイントにしぼってていきます。
1つめのポイントは「もの」です。
ワークシートポイント
くるま新幹線しんかんせん飛行機ひこうきもないなら…やっぱりひとはこんだのかな?
ひとはこんでいたかもしれませんが、最初さいしょうませてはこんでいたといわれています。そのあと大量たいりょうはこぶことができるふねへと変化へんかしました。
さけにかぎらず、江戸時代えどじだいとおして、モノをはこぶのはうまひと使つかわれていました。浮世絵うきよえにえがかれているように、中央ちゅうおううまのように背中せなか荷物にもつせていました。
うま力持ちからもちなんだね。うま背中せなかには4たるせているなんてすごいね!
そうですね。1たるあたり72リットルのおさけはいるので、うま背中せなかせてはこぶのは大変たいへんだったでしょうね。
でも、なんでうまからふねわったのかな?
この理由りゆうが2つめのポイントです。2つめは「りょう」になります。
ワークシートポイント
たしかに、うまだと一度いちどにたくさんのりょうはこぶことができないね。
新鮮しんせんなおさけ江戸えどにたくさんとどけるためには、ふねのほうがかったんですね。また、西宮にしのみやという場所ばしょうみちかいこともあって、さけはいったたるをはやくふねむことができました。この資料しりょうは、西宮にしのみやから樽廻船たるかいせん出発しゅっぱつしている様子ようすをえがいたものです。
「樽船出帆図(複製)」(西宮市立郷土資料館蔵)
なるほど。西宮にしのみやさけづくりにてきした環境かんきょうであっただけではなく、おさけはこぶのにもてきした場所ばしょだったんだね。
さけはこんだふねってどれくらいのおおきさだったのかな?いっぱいむことができたってことはとってもおおきかったんだろうなあ。
さけはこんだふねおおきさはさまざまありましたが、この写真しゃしんふねにはだいたい1,600たるほどむことができました。これは、おさけはこ専用せんようふねで、「樽廻船たるかいせん」といいました。
「樽廻船模型」(西宮市立郷土資料館蔵)
西宮にしのみやのおさけがたくさん江戸えどはこばれたということは、樽廻船たるかいせんだいかつやくしたんだろうね。
西宮にしのみやさけづくりが発展はってんしていった理由りゆうがわかりましたか?
はい、よくわかりました。