長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻二 (400頁~)


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天皇 年月日 西暦 記事
朱雀天慶四年九月一五日941信濃望月牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、403
朱雀天慶四年九月二日941上野国の御馬四十八疋を牽進す、但し一疋は腸病のため信濃国伊那郡に留る由を奏す、404
朱雀天慶四年一一月一〇日941国毎に御馬五十疋を撰進すべきの官符により、信濃の御馬を択ぶ使佐々貴晴樹、信濃望月、新治両牧の馬卅疋を牽進す、404
朱雀天慶五年四月二五日942大和守従五位上高階真人師尚、信濃国務の功により、正五位下に叙せらる、405
朱雀天慶五年九月一二日942信濃諸牧の貢馬を牽進す、406
朱雀天慶七年九月二日944大暴風雨あり、信濃国府の庁舎顛倒して、守従五位下紀朝臣文幹圧死す、407
朱雀天慶七年九月一四日944信濃諸牧の貢馬を牽進す、407
朱雀天慶八年九月二日945大外記三統宿祢公忠、諸国参期を勘申す、信濃は十一月とせらる、413
朱雀天慶八年九月九日945信濃諸牧の貢馬を牽進す、415
朱雀天慶八年一一月二日945信濃望月牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、415
村上天慶九年九月一〇日946信濃諸牧の貢馬を牽進す、416
村上天慶九年一〇月二八日946前信濃守源朝臣師保、大嘗会御禊の前駈に加はる、417
村上天暦元年八月一六日947信濃諸牧の貢馬を牽進す、417
村上天暦二年八月一五日948信濃諸牧の貢馬を牽進す、418
村上天暦三年八月一四日949信濃諸牧の貢馬を牽進す、419
村上天暦三年八月一八日949故関白太政大臣従一位藤原朝臣忠平を葬る、是日、忠平に正一位を贈り、信濃国に封じ、貞信公と諡す、419
村上天暦三年一〇月二四日949左大臣藤原朝臣実頼、故忠平の信濃国の封物を辞す、426
村上天暦三年一二月五日949諸牧の貢馬を行ふべきや否やを定む、426
村上天暦四年一月三〇日950侍従源朝臣重光、信濃権守を兼ぬ、427
村上天暦五年八月一八日951信濃諸牧の貢馬を牽進す、427
村上天暦六年九月二三日952信濃等四国の国司及び牧監の貢馬の期に違ひ、例数を減ずるものを科責せしむ、428
村上天暦七年一月二九日953従五位上源朝臣信明、信濃守となる、429
村上天暦七年八月一六日953信濃諸牧の貢馬を牽進す、430
村上天暦七年八月二五日953信濃望月牧の貢馬、延引して是日牽進す、432
村上天暦八年八月一六日954信濃諸牧の貢馬を牽進す、432
村上天暦一〇年八月一六日956信濃諸牧の貢の馬を牽進す、433
村上天徳元年八月二五日957信濃望月牧の貢馬、逗留し、是日牽進す、434
村上天徳二年八月一六日958信濃諸牧の貢馬を牽進す、434
村上天徳三年八月二四日959信濃望月牧の貢馬を牽進す、435
村上天徳三年八月二九日959信濃諸牧の貢馬を牽進す、436
村上応和元年一月二五日961従五位上源朝臣惟正、信濃守となる、436
村上応和元年八月一五日961信濃諸牧の貢馬を牽進す、437
村上応和元年一一月四日961後院の信濃桐原牧の貢馬を牽進す、438
村上応和二年八月一六日962信濃諸牧の貢馬を牽進す、438
村上応和二年八月二三日962信濃望月牧の貢馬を牽進す、438
村上応和三年八月一三日963信濃諸牧の貢馬を牽進す、439
村上康保元年八月一六日964信濃諸牧の貢馬を牽進す、440
村上康保二年八月一七日965信濃諸牧の貢馬を牽進す、440
村上康保三年八月一六日966信濃諸牧の貢馬を牽進す、441
村上康保三年966釈長明、信濃戸隠山に於て火定す、441
冷泉安和元年八月一六日968信濃諸牧の貢馬を牽進す、444
冷泉安和元年一二月一八日968信濃国、藤原千常の乱を奏す、444
円融天禄元年八月一六日970信濃諸牧の貢馬を牽進す、445
円融天禄元年九月八日970信濃国の調布六百七十四端三丈を、春季御読経料として、毎年正月の中に進納せしむ、446
円融天延二年八月一六日974信濃諸牧の貢馬を牽進す、448
円融天延二年一一月八日974信濃望月牧の貢馬を牽進す、448
円融天延三年二月二日975撿牧使を信濃・上野両国に遣はして、諸牧を撿校せしむ、449
円融天延三年七月二九日975東国に風害あり、信濃の御坂の路崩壊す、450
円融天元元年八月一七日978信濃諸牧の貢馬を牽進す、是日始めて左近番長兼国を御馬使とす、451
円融天元元年九月一三日978信濃望月牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、451
円融天元五年一月二五日982令宗朝臣允亮、信濃掾美努秀則の問に答へ、検非違使の等親連任し得るや否やについて説く、452
花山永観二年九月三日984信濃諸牧の貢馬を牽進す、453
花山寛和元年五月一七日985信濃国、白雉を献ず、尋いで片足折れたるを以て、之を北山に放つ、453
一条永延二年一月二九日988従四位上藤原朝臣在国、信濃権守となる、455
一条永祚元年八月一九日989信濃諸牧の貢馬を牽進す、456
一条永祚元年一二月三〇日989前信濃守藤原朝臣永年卒す、457
一条正暦元年八月一六日990信濃諸牧の貢馬を牽進す、459
一条正暦元年八月二八日990参議藤原朝臣実資、信濃の梨を円融法皇に献ず、459
一条正暦四年一月一三日993従四位下藤原朝臣隆家、信濃権守となる、460
一条正暦四年閏一〇月二六日993信濃等の諸国の越済のことを定む、461
一条長徳元年一月一三日995菅野貞頼、信濃掾となり、秦員友、信濃権少掾となる、462
一条長徳元年九月一六日995小舎人に例物として信濃布等を給ふ、463
一条長徳二年一月二五日996縣召除目あり、信濃大目及び権少目闕く、463
一条長徳二年八月一七日996信濃諸牧の貢馬、是日牽分く、464
一条長徳三年一〇月二八日997太皇太后昌子大夫藤原朝臣実資に、後院領笠原牧の馬二疋を賜ふ、465
一条長徳四年五月二五日998大外記正五位下中原朝臣致時、信濃守となり、正六位上大宅朝臣清則、信濃権少掾となる、465
一条長徳四年三月一四日998延暦寺中堂の御諷誦料布として、前信濃守左伯朝臣公行の布を借用す、467
一条長徳四年三月二一日998弾正忠右賢、信濃国の温泉に赴かんことを請ひて許さる、468
一条長徳四年一二月九日998信濃権介景盛に計歴の宣旨を下す、469
一条長保元年八月一六日999信濃諸牧の貢馬を牽進す、469
一条長保元年一〇月一五日999信濃守中原朝臣致時、藤原朝臣実資に桑糸廿疋を送る、470
一条長保二年二月二日1000正六位上藤原朝臣有邦を信濃諸牧の牧監に補す、470
一条長保二年七月二日1000左大臣藤原朝臣道長、信濃国の中の荘園を勧学院に進む、471
一条長保二年八月二〇日1000信濃諸牧の貢馬を牽進す、472
一条長保二年一一月二七日1000正六位上久米宿祢滋延、信濃掾となる、473
一条長保三年一月二九日1001法興院に於て、故皇后定子の御法会あり、穀倉院に納むる信濃布百端を御諷誦料に充つ、473
一条長保三年一月1001右中弁源朝臣道方、信濃権守を兼ぬ、476
一条長保三年八月一六日1001信濃諸牧の貢馬を牽進す、477
一条長保三年1001信濃判官代高向弘信、極楽寺に鰐口を寄進す、478
一条長保四年二月三〇日1002源朝臣済政信濃守となる、尋いで任国に赴く、478
一条長保四年七月二四日1002僧真隆、信濃国の講師となる、480
一条長保四年八月一七日1002信濃諸牧の貢馬、式日延引し、是日牽進す、480
一条長保四年八月二二日1002令宗朝臣允亮、信濃国の私牧の牝馬、官牧に遊牝して生む駒を、母馬に属して私馬たらしむべきことを勘申す、482
一条長保四年八月二三日1002左馬寮、望月牧の貢馬延期逗留の状を言上せざるを奏す、482
一条長保五年八月一六日1003信濃諸牧の貢馬を牽進す、483
一条長保五年一一月一五日1003相模守清重の女、五節舞姫となりて参入す、母は故信濃守藤原朝臣陳忠の女なり、
○信濃守藤原陳忠御坂に落入るの語
○信濃国の盲僧法花を誦し両眼を開く語
○盗人法花四要品を誦して難を免るの語
○信濃守法花を写し虵鼠の苦を救ふ語
○大伴忍勝発願して冥途より返るの語
○信濃国如法寺の僧薬蓮往生するの語
○信濃国王藤観音出家の語
○滝口金使に行き外術を習ふの語
○寸白信濃守となり解け失せける語
○信濃国姨母棄山の語
○姨捨山を詠める歌
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