長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻六 (400頁~)
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南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一八年二月二九日
1363
是より先、山城三聖寺僧玄光、近衛道嗣所領水内郡芋川庄を違乱す、是日、道嗣の家司、北朝記録所に之を越訴せんとす、
401
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一八年三月
1363
僧観実、山城六波羅蜜寺造営の資を募る、尋で、諏訪円忠、奉加のため馬一疋を寄進す、
402
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一八年四月一〇日
1363
嶋津貞久、同師久に水内郡太田庄内大倉・石村南両郷地頭職等を譲る、 石村南郷の名の見ゆる年月未詳の嶋津家所領目録、
403
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一八年一一月八日
1363
是より先、幕府、妙葩春屋、を天龍寺住持となす、是日、妙葩、入院す、南禅寺住持妙在、此山、その式に莅んで白搥証明す、
407
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一八年
1363
幕府、霊見性海、を山城三聖寺住持となす、尋で、霊見、入院す、
408
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一八年
1363
紀伊大慈寺住持勇健、大歇、一百箇日の祈祷を行ふ、
412
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一九年一月一四日
1364
幕府弓始、諏訪貞範等、射手を勤む、
413
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一九年四月一〇日
1364
秋田尭勢、信濃に卒す、
413
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一九年八月八日
1364
前開善寺住持霊巨、鼇峰、寂す、
414
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一九年一一月一二日
1364
武田希円等、佐久郡追分大明神に大般若経を奉納す、
416
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一九年
1364
良中、大本、相模に来りて疾む、
417
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一九年
1364
幕府、奉行諏訪円忠、卒す、
419
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平一九年
1364
紀伊大慈寺住持勇健、大歇、同国かたえ文殊に参詣す、
427
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年二月三日
1365
足利義詮、同基氏に命じて、石清水八幡宮法印永清の、同宮法印尚清遺領更級郡小谷庄を押領するを停め、同宮権別当了清をして之を安堵せしむ、
428
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年二月一七日
1365
幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
429
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年三月二一日
1365
前信濃守護小笠原政長、卒す、
429
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年四月一〇日
1365
良中、大本、円覚寺白雲庵の徒円方無外、の請に応じて、永璵東陵、の法語軸子に序す、
437
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年六月一日
1365
山内通継、弟通忠を嗣となし、筑摩郡下平田郷地頭職等の所領を譲る、
439
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年七月一五日
1365
建長寺玉雲庵塔主良中、大本、円覚寺黄梅院の徒周一以清、請に応じて、その友人に贈る詩軸に跋す、
440
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年七月一八日
1365
建長寺玉雲庵塔主良中、大本、同寺の僧一渓の請に応じて、同寺衆の安居中所作の頌軸に序す、
441
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年七月二六日
1365
信濃守護小笠原長基、同清政に兵糧料所として、安曇郡大和田郷を預く、
443
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年七月二九日
1365
建長寺玉雲庵塔主良中、大本、周誾延和、の請に応じて、胤沙弥の帰郷を送る詩軸に序し、また同軸に跋し、且和韻の詩を軸中に載す、
444
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年八月二七日
1365
関東管領足利基氏、高尾張五郎をして同師義と共に、信濃の南党を討たしむ、、尋で、茂木朝音発向を促す、
447
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年八月二九日
1365
武田信光、諏訪社上社に、諏訪郡北大塩内又六在家並びに田地を寄進す、
448
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年九月五日
1365
信濃の僧天誾、如仲、上田に生る、
448
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年九月
1365
建長寺玉雲庵塔主良中、大本、円覚寺住持契聞不聞、の書状侍者本亘の請に応じて、同寺大衆の頌軸に序す、
449
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年一一月六日
1365
小笠原長基、筑摩郡塩尻郷春近折中分を、山城石清水八幡宮に寄進す、
451
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年一二月八日
1365
良中、大本、円覚寺黄梅院の徒周一以清、の請に応じて、寿福寺の徒鑑侍者の甲斐に帰郷するを送る詩軸に序す、
452
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年一二月一四日
1365
小笠原長基、諏訪直頼と筑摩郡塩尻金井に戦ひ、之を破る、尋で、明年正月、再び合戦し、長基の軍敗る、
453
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年一二月二〇日
1365
沙弥朝阿、小県郡善福寺に浦野庄内田在家を寄進す、 この年代の銘ある小県郡本原村地蔵堂所蔵・同郡傍陽村実相院所蔵・諏訪郡落合村蔦木区所蔵の実篋印塔、
453
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二〇年
1365
法忻大喜、建長寺住持となる、良中、大本、諸山疏をつくりて、之を賀す、
455
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年一月一七日
1366
幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
459
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年二月九日
1366
小笠原長基、筑摩郡塩尻郷内東条を、諏訪社下社に寄進す、
459
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年五月二二日
1366
関東管領足利基氏、周信義堂、を相模善福寺住持となす、信濃の僧良中、大本、法眷疏をつくり之を賀す、
460
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年七月二五日
1366
建長寺玉雲庵塔主良中、大本、蘭隠の請に応じて、その友人古潤に贈る詩軸に序す、
462
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年八月二二日
1366
建長寺玉雲庵塔主良中、大本、周信義堂、に代りて、超上人を留別する詩軸に序す、
464
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年八月二七日
1366
幕府、上杉朝房をして、武蔵金陸寺領小県郡浦野庄西馬越郷の地を同寺に渡付せしむ、尋で、朝房、之を施行す、
465
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年八月
1366
関東管領足利基氏、建長寺玉雲庵塔主良中大本、をして、同寺同契庵の徒資運の夭折を悼む詩歌軸に序せしむ、
466
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年一〇月一二日
1366
関東管領足利基氏、上杉朝房をして、筑摩郡神林郷下村の下地を茂木朝音に渡付せしむ、
468
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年一二月二日
1366
是より先、武蔵称名寺雑掌光信、嶋津師久の、同寺領水内郡太田庄内大倉郷を押妨するを訴ふ、是日、幕府、信濃守護小笠原長基をして、下地を寺家に渡付せしむ、尋で、師久のその命に従はざるに依り、重ねて、之を訴ふ、 大倉郷等の文書注文、
469
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二一年一二月二二日
1366
二条良基第年中行事歌合、僧宗久、信濃勅旨牧駒牽の和歌を詠ず、
471
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年一月一五日
1367
天龍寺住持妙在、此山、上元の節によつて、両班を交替し、上堂してその労を謝す、
472
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年三月五日
1367
滋野至中、子直連に小県郡海野庄内田中郷内の地等を譲る、
473
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年三月五日
1367
嶋津師久、嫡子伊久等に、水内郡太田庄南郷等の所領を配分す、
475
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年四月二日
1367
関東管領足利利基氏、重ねて、上杉朝房をして、筑摩郡神林郷内下村の下地を、茂木朝音に渡付せしむ、
476
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年四月一三日
1367
信濃十九牧大使幸舜、諏訪社下社領伊那郡辰野・諏訪郡岡野両牧の寮家課役等を免ず、
477
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年
1367
信濃の僧円覚寺の徒俊侍者、父の喪に帰郷す、同寺の諸友餞偈を贈る、周信、義堂、崇井古田、の請に応じて、その頌軸に序す、 俊上人、しばしば信濃に帰郷す、
478
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年八月一六日
1367
北朝、駒牽を延引す、尋で、之を追行す、望月御牧貢馬を献ず、
482
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年八月二九日
1367
近衛道嗣、所領水内郡芋川庄の知行有名無実なるに依り、便宜の地と取替へんとす、
485
南朝後村上 北朝後光厳
南朝正平二二年
1367
幕府、妙在此山、を再び南禅寺住持となす、尋で、妙在、入院す、
487
南朝長慶 北朝後光厳
南朝正平二三年二月一六日
1368
幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
488
南朝長慶 北朝後光厳
南朝正平二三年三月二三日
1368
幕府、滋野直連をして、小県郡海野庄内田中郷内の地等を安堵せしむ、
489
南朝長慶 北朝後光厳
南朝正平二三年六月三日
1368
諏訪郡慈雲寺の梵鐘成る、
490
南朝長慶 北朝後光厳
南朝正平二三年六月一七日
1368
市河瀬房・難波基房、上杉朝房に属し、武蔵河越に平一揆等を攻む、尋で、関東管領足利氏満、頼房等の功を褒す、
491
南朝長慶 北朝後光厳
南朝正平二三年八月一九日
1368
市河瀬房・難波基房、上杉朝房に属し、宇都宮氏綱の軍を、下野横田要害に攻む、尋で、同国贄木城を攻めて、軍忠を顕す、
493
南朝長慶 北朝後光厳
南朝正平二三年九月六日
1368
市河頼房、難波基房、上杉朝房に属し、宇都宮氏綱の軍を、下野宇都宮城に攻む、頼房、矢疵を受く、
493
南朝長慶 北朝後光厳
南朝正平二三年一一月二〇日
1368
前上野長楽寺住持良中、大本、筑摩郡保福寺に寂す、
494