長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻八 (400頁~)
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後花園
長禄二年九月六日
1458
細川道賢、持賢、木曽宮俊をして、幕府使僧宗真の木曽路通過に便を計らしむ、
401
後花園
長禄二年九月二〇日
1458
幕府、瑞洵を、信濃西光寺住持となす、
402
後花園
長禄二年一〇月五日
1458
佐久郡相沢寺の仏面、成る、 相沢寺所蔵の仏面中、造立年代明かならざるものの銘
403
後花園
長禄二年一〇月二〇日
1458
是より先、小笠原清宗、同光康の関東出陣に合力せんとす、是日、細川道賢、持賢、将軍足利義政の旨を請け、光康をして清宗の合力を斥けしむ、
406
後花園
長禄二年一一月二〇日
1458
幕府、周璉を伊那郡西岸寺住持となす、
407
後花園
長禄二年一一月二五日
1458
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねのて御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
408
後花園
長禄二年一一月二八日
1458
松本市薄宮の唐獅子像、成る、
409
後花園
長禄二年一二月一七日
1458
幕府、継佑を、諏訪郡慈雲寺住持となす、
410
後花園
長禄二年
1458
小諸市柏木の地蔵菩薩像、成る、
410
後花園
長禄二年
1458
筑摩郡若沢寺観音堂の鰐口、成る、
411
後花園
長禄三年三月二三日
1459
東福寺永安院塔主見進、惟精、紀伊興国寺西方寺、開山覚心無本、心地房、の逸事を、東福寺南泉庵霊隠軒主大極に語る、大極、之を聞いて、覚心の伝賛をつくる、
411
後花園
長禄三年三月二三日
1459
滋野井教国、信濃権守に任ぜらる、
413
後花園
長禄三年四月八日
1459
諏訪社上社、同社明年花会頭役を、高井郡毛見郷等に充つ、
413
後花園
長禄三年五月五日
1459
諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、佐久郡小諸郷等に充つ、
414
後花園
長禄三年七月一四日
1459
高梨教秀、卒す、
414
後花園
長禄三年七月二九日
1459
諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、高井郡亘里郷等に充つ、
415
後花園
長禄三年一〇月七日
1459
相国寺鹿苑院塔主周鳳、瑞渓、山城退蔵庵及び微笑庵に詣り、妙心寺開山慧玄関山、の頂相等を拝す、
416
後花園
長禄三年一一月二〇日
1459
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
417
後花園
長禄三年一二月一二日
1459
山城竜安寺住持玄承、義天、その派祖妙心寺開山慧玄関山、の百年忌仏事を修す、相国寺鹿苑院塔主周鳳、渓瑞、その法筵に臨む、
418
後花園
寛正元年四月八日
1460
諏訪社上社、同社明年花会頭役を、伊那郡大嶋郷等に充つ、
421
後花園
寛正元年
1460
井上政満、卒す、
421
後花園
寛正元年五月五日
1460
諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、佐久郡田口郷等に充つ、
421
後花園
寛正元年六月一七日
1460
幕府、伊那郡開善寺住持清啓天与、を遺明正使となす
422
後花園
寛正元年七月一三日
1460
相国寺鹿苑院蔭凉軒主真蕊、季瓊、伊那郡開善寺住持清啓天与、の遺明正使就任を領掌せる旨を足利義政に披露す、尋で、清啓、上洛す、
423
後花園
寛正元年七月三〇日
1460
諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、高井郡大岩郷等に充つ、
424
後花園
寛正元年八月三日
1460
幕府、伊那郡開善寺住持、遺明正使清啓天与、を建仁寺住持となす、
424
後花園
寛正元年八月六日
1460
幕府、曇郁文紀、を伊那郡建福寺住持となす、
425
後花園
寛正元年八月一二日
1460
幕府、建仁寺住持清啓天与、の請に依り、同寺禅居庵の喝食智載の度僧を許す、
425
後花園
寛正元年八月一五日
1460
建仁寺住持清啓天与、同寺に入院し、翌日、同寺を退院す、
425
後花園
寛正元年九月一二日
1460
是より先、光暁、堀川具世、善光寺参詣の帰途、伊那郡山田郷に逗留す、是日、具世、山田盛政の請に応じ、三五記を書写し、盛請に与ふ、
430
後花園
寛正元年九月一八日
1460
幕府、充松を、諏訪郡慈雲寺住持となす、
432
後花園
寛正元年閏九月五日
1460
前南禅寺建仁寺住持竜惺、瑞巌、寂す、建仁寺住持宗永、江宇、之を祭る、同寺禅居庵塔主清啓、天与、その祭文を代作す、
432
後花園
寛正元年閏九月二三日
1460
東福寺退畊庵塔主慧桑、旭昇、その祖前南禅寺住持霊見性海、の逸事を同寺桂昌安霊隠軒主大極に語る、
435
後花園
寛正元年一〇月二二日
1460
幕府、恵鑑希曹、を諏訪郡安国寺住持となす、
436
後花園
寛正元年一一月二二日
1460
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
437
後花園
寛正二年三月二二日
1461
幕府、景伝を、伊那郡開善寺住持となす、
438
後花園
寛正二年四月八日
1461
諏訪社上社、同社明年花会頭役を、高井郡河田郷等に充つ、
439
後花園
寛正二年五月五日
1461
諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、水内郡風間郷等に充つ、
439
後花園
寛正二年五月六日
1461
某、木曽定勝寺に禁制を掲ぐ、
440
後花園
寛正二年七月一八日
1461
幕府、宗襲を、信濃西光寺の住持となす、
441
後花園
寛正二年七月三〇日
1461
諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、埴科郡船山郷等に充つ、
441
後花園
寛正二年一一月二六日
1461
遣明正使清啓、天与、小笠原遠江守の死を弔はんがため、信濃下向を幕府に請ふて許さる、
442
後花園
寛正二年一二月八日
1461
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
443
後花園
寛正二年
1461
信濃の僧、建仁寺の徒成甫、杏仁を同寺大統院栖芳軒主周曮東沼、に贈る、周曮、詩を作りて、之を謝す、 成甫、その所居の斎を画かしめたる詩画軒に、賛詩を求め、相国寺の周鳳、瑞渓、これに題詩す、
444
後花園
寛正二年
1461
信濃飢饉、
446
後花園
寛正二年
1461
僧宗穆、悦堂、小県郡定津院に同院住持宗英拈笑、に参ず、
446
後花園
寛正三年四月八日
1462
諏訪社上社、同社明年花会頭役を、佐久郡長倉郷等に充つ、
447
後花園
寛正三年四月一〇日
1462
皇大神宮祢宜荒木田兼弘、同宮杣木曽美濃山に於て卒す、
447
後花園
寛正三年五月五日
1462
諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、筑摩郡深志郷等に充つ、
448
後花園
寛正三年六月一五日
1462
小笠原持長、卒す、
448
後花園
寛正三年七月二九日
1462
諏訪社上社、同社明年御射山祭頭役を、筑摩郡会田郷等に充つ、
455
後花園
寛正三年八月五日
1462
幕府、光文を伊那郡西岸寺住持となす、
455
後花園
寛正三年八月一〇日
1462
行久、更級郡八幡宮に鰐口を寄進す、
456
後花園
寛正三年一一月一三日
1462
山田石見守、山城東福寺海蔵院領水内郡太田庄絹役を請負ふ、
456
後花園
寛正三年一一月二五日
1462
幕府、聖勝を小野郡安楽寺住持に、寿材を伊那郡開善寺住持となす、
457
後花園
寛正三年一二月二日
1462
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
458
後花園
寛正四年三月二八日
1463
久我嗣通、信濃権守に任ぜらる、
459
後花園
寛正四年四月八日
1463
諏訪社上社、同社明年花会頭役を、筑摩郡桐原郷等に充つ、
460
後花園
寛正四年五月五日
1463
諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、高井郡須田郷等に充つ、
460
後花園
寛正四年七月二九日
1463
諏訪社上社、同社明年御射山頭役を、高井郡須毛郷等に充つ、
461
後花園
寛正四年九月一七日
1463
相国寺鹿苑院陰涼軒主真蘂季瓊、遣明正使伊那法全寺住持清啓、天与、周鳳瑞渓、より書信を通じて、渡明出発の日定まるを俟つて上洛すべき旨を告げたることを、義政に披露す、
462
後花園
寛正四年九月二二日
1463
是より先、信濃の僧建仁寺禅居庵の徒智云、古雲、書信及び詩偈を摂津箕面に滞留せる同寺大昌院塔主竜沢天隠、に呈す、是日、竜沢、智云の来詩を和韻す、
462
後花園
寛正四年一〇月一三日
1463
幕府、周繹を諏訪郡安国寺住持となす、
463
後花園
寛正四年一〇月一五日
1463
幕府、小笠原持清の、不壊化身院領近江伊部郡公文職を押妨するを停む、
464
後花園
寛正四年一一月二四日
1463
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
464
後花園
寛正四年一二月九日
1463
幕府、良湫を佐久郡慈寿寺住持となす、
466
後花園
寛正四年一二月一二日
1463
越後上杉右馬頭、高井郡高橋に攻入り、是日、敗死す、
466
後花園
寛正五年二月一二日
1464
幕府、遣明正使伊那郡法全寺住持清啓、天与、の上洛を促す、
467
後花園
寛正五年三月二四日
1464
諏訪社上社、同社鳥居の用材引出しを始む、
474
後花園
寛正五年四月八日
1464
諏訪社上社、同社明年花会頭役を、更級郡川井郷等に充つ、
475
後花園
寛正五年四月一三日
1464
是より先、諏訪信満父子等、佐久郡大井某と共に、甲斐に攻入る、是日、信満等、諏訪社上社御柱引のため、諏訪に帰る、
476
後花園
寛正五年四月一六日
1464
是より先、遣明正使伊那郡法全寺住持清啓、天与、信濃より上洛し、相国寺寿徳庵北禅軒に同軒周鳳、瑞渓、を、同寺鹿苑院蔭凉軒に同軒主真蘂季瓊、を礼問す、是日、清啓、足利義政に謁し、物を贈る、
477
後花園
寛正五年五月五日
1464
諏訪社上社、同社明年五月会頭役を、埴科郡坂木郷等に充つ、
480
後花園
寛正五年五月二八日
1464
是より先、建仁寺禅居庵塔主清啓、天与、相国寺鹿苑院大塔造営料足を寄進す、是日、同院蔭凉軒主真蘂、、季瓊、その請取状を足利義政に呈して、証判を請ふ、
480
後花園
寛正五年五月二八日
1464
相国寺鹿苑院蔭凉軒主真蘂、季瓊、遣明正使清啓天与、等の入明用意の細目及び路次の警固について、幕府奉行人伊勢貞親と議し、尋で、同飯尾元連とも議す、
481