長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十七 (100頁~)
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明正
寛永一四年一〇月二日
1637
是より先、埴科郡松城町大工正左衛門下女きく、真田信之の甥同信親の家臣平尾与左衛門に故なく譜代奉公を強ひらるるに依り、松城城に駆入り、之を訴ふ、是日、信之の奉行師岡源兵衛等、之を裁し、与左衛門をして、きくに暇を出さしむ、 更級郡五明村の闕落百姓惣左衛門の年貢のこと、及び埴科郡加賀井村はるの身代のことについての争論
128
明正
寛永一四年一〇月一〇日
1637
松平忠憲、憲良、小県郡長窪新町等領内諸村の本年免相を定む、
131
明正
寛永一四年一〇月一一日
1637
是より先、越後高田城主松平光長、埴科郡坂城代官長谷川永徹支配の同郡中之条村と同郡金井・横尾村の、中之条村苅草山につき争論するにより、検使を遣はす、是日、検使等、それぞれ自村の持山にて草苅すべきを定む、
133
明正
寛永一四年一〇月一一日
1637
真田信之、祢津甚九郎等に足軽を預く、尋いで、大瀬又右衛門等にも預く、 信之、小日方四郎兵衛に足軽を預く、
135
明正
寛永一四年一〇月一五日
1637
幕府代官岡上景親、佐久郡上海瀬村等に、本年年貢を割付く、
139
明正
寛永一四年一〇月一五日
1637
幕府代官青木俊定等、高井郡犬飼村等に、本年年貢を割付く、
144
明正
寛永一四年一〇月二一日
1637
真田信之、松城領分奉行師岡源兵衛等に法度を下す、
152
明正
寛永一四年一〇月二六日
1637
幕府、信濃等十一箇国の代官・給人に悪党穿鑿令を頒つ、
154
明正
寛永一四年一〇月二七日
1637
小県郡邑主松平忠利、忠節、同金井村の本年免相を定む、
156
明正
寛永一四年
1637
脇坂安元の家臣奈良又右衛門尉、伊那郡虎岩村の彦右衛門より、同村分の黐を請取る、
156
明正
寛永一四年一一月二日
1637
松平直政の家臣日野武定、安曇郡中屋村馬寄に牛馬を放す諸村の百姓に、前々の如く馬垣の柵木を出さしむ、
157
明正
寛永一四年一一月四日
1637
徳川家光、松平直政等諸大名を江戸城中に招き、狩獲の鶴を饗す、
158
明正
寛永一四年一一月五日
1637
幕府代官近山安俊等、高井郡西条新田村等に、本年年貢を割付く、
158
明正
寛永一四年一一月八日
1637
幕府代官岡上景親の手代島田理兵衛、佐久郡井出次久に、同郡臼田組の前年分年貢納払相勘定の完済を証す、
161
明正
寛永一四年一一月八日
1637
脇坂安元の家臣渡辺九兵衛、伊那郡虎岩村平沢新十郎より、同村の越米年貢を請取る、
161
明正
寛永一四年一一月一六日
1637
真田信之、沢小左衛門に知行を加給す、尋いで、菅沼九兵衛にも加給す、
161
明正
寛永一四年一一月一七日
1637
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
162
明正
寛永一四年一一月一九日
1637
神道管領長上吉田兼英、高井郡上条郷十社権現祠官富岡家次等に、先規の如く風折烏帽子・狩衣の着用を允可す、
163
明正
寛永一四年一一月二五日
1637
幕府代官平岡吉道、佐久郡原村等の本年年貢定納高を定む、
164
明正
寛永一四年一二月三日
1637
真田信之、綿内彦五郎等に知行を給す、尋いで、小幡七右衛門にも給す、
169
明正
寛永一四年一二月五日
1637
佐久郡下村の半右衛門等、同郡本覚寺住持等より、修験者弥勒院某を預けらる、
170
明正
寛永一四年一二月七日
1637
幕府代官岡上景親の手代市川五兵衛、佐久郡上海瀬村新海与右衛門より、本年の年貢・六尺給を請取る、
171
明正
寛永一四年一二月一三日
1637
伊那郡虎岩村平沢新十郎、妹婿牛之助の年貢未進に係る質人請出の違約を責め、之を脇坂安元の奉行所に訴ふ、
172
明正
寛永一四年一二月一五日
1637
真田信之、成沢勘左衛門より、松城城下の闕所家屋・家財等の売払代金を請取る、
173
明正
寛永一四年一二月一七日
1637
真田信之、菅沼次郎右衛門尉に足軽を預く、
174
明正
寛永一四年一二月一八日
1637
真田信之、金井善兵衛に知行を加給す、尋いで、春原吉十郎にも給す、
175
明正
寛永一四年一二月一八日
1637
江戸出火、高遠城主鳥居忠春等の屋敷、類焼す、
176
明正
寛永一四年一二月二一日
1637
佐久郡幕府領下桜井村、名寄帳を指出す、
176