長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十八 (400頁~)
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明正
寛永一九年八月二七日
1642
安曇郡南小谷村百姓等、同村の窮状を幕府に訴ふ、
403
明正
寛永一九年八月二七日
1642
堀田正盛の家臣中村三郎右衛門等、安曇郡堀之内村の前年分年貢納払を皆済せるを証す、
405
明正
寛永一九年八月二九日
1642
堀田正盛の家臣大田宮内左衛門、安曇郡上一本木村の前年分年貢の納払目録を記す、
407
明正
寛永一九年九月三日
1642
前松本城主堀田正盛郡奉行浅田光永、松本領内関所等の万覚書を記す、
409
明正
寛永一九年九月三日
1642
伊那郡下河路村の四郎右衛門、同郡下瀬村上松三四郎より、金子を借用す、
412
明正
寛永一九年九月五日
1642
山村良豊、水野忠清の松本入部を祝し、物を贈る、
413
明正
寛永一九年九月六日
1642
伊那郡虎岩村の十三郎等、脇坂安元の家臣村上弥次兵衛に、おとし木を進むべきを約す、
414
明正
寛永一九年九月二〇日
1642
伊那郡上飯田村百姓、年貢納払につき異見なき旨を同村肝煎長蔵に誓ふ、
414
明正
寛永一九年九月二八日
1642
諏訪忠恒、中島与五兵衛に、諏訪郡下桑原村角間沢の開発を許す、
416
明正
寛永一九年閏九月三日
1642
是より先、堀田正盛、松本領内桧材木・薪の伐出し等を米屋九右衛門等に請負はしむ、是日、正盛郡奉行浅田光永、正盛の移封せるに依り、請負運上金の取立て等のことを水野忠清の家臣鈴木助左衛門等に引継ぐ、尋いで、また答報す、
417
明正
寛永一九年閏九月一二日
1642
脇坂安元、伊予今治城主松平定房の江戸屋敷の消火に当る、
419
明正
寛永一九年閏九月一七日
1642
木曽王滝村百姓、飛騨竹原・御舞野両村百姓の三浦山に入るを責め、山道具等を奪ふ、この後、双方三浦山の帰属を争ふ、 王滝村松原彦右衛門、木曽山盗伐人の取締を命ぜられ、美濃加子母村・飛騨竹原村等の庄屋に協力を求む、
420
明正
寛永一九年閏九月二二日
1642
伊那郡邑主井上庸名、卒し、子同庸尾、嗣ぐ、
426
明正
寛永一九年閏九月二二日
1642
脇坂安元の家臣渡辺九兵衛、伊那郡虎岩村平沢勘右衛門に、脇坂内膳分等の納米を預く、
428
明正
寛永一九年閏九月二八日
1642
松平忠憲、憲良、参覲す、
429
明正
寛永一九年一〇月八日
1642
徳川義直、美濃錦織詰の寺西三右衛門等に命じて、山村良豊分の瓦木等を錦織にて木留することなからしむ、
431
明正
寛永一九年一〇月一二日
1642
仙石政俊、小県郡築地村等の本年年貢高を定む、尋いで、同郡横尾村等領内諸村の本年年貢高を定む、
431
明正
寛永一九年一〇月一二日
1642
水野忠清の家臣鈴木六郎左衛門、是日より、筑摩郡田中村の本年年貢の払方を記す、
438
明正
寛永一九年一〇月一五日
1642
松平忠憲、憲良、佐久郡御馬寄村等領内諸村の本年年貢高を定む、
439
明正
寛永一九年一〇月一八日
1642
幕府代官青木俊定等、高井郡牧村等に、本年年貢を割付く、
444
明正
寛永一九年一〇月二一日
1642
真田信之、片岡理兵衛に知行を加給す、
447
明正
寛永一九年一〇月二五日
1642
真田信政、上野大乗院に諏訪免の地を寄進す、
447
明正
寛永一九年一〇月二七日
1642
佐久郡内山村の与惣右衛門等、次兵衛より金子を借用す、
448
明正
寛永一九年一〇月二九日
1642
徳川義直、山村良豊の、前年分美濃錦織材木運上を皆済せるを証す、
448
明正
寛永一九年一一月三日
1642
水野忠清、筑摩郡安坂村等領内諸村の本年年貢高を定む、
449
明正
寛永一九年一一月八日
1642
伊那郡虎岩村、脇坂安元の家臣村上弥次兵衛に、前年分年貢未進覚を指出す、尋いで、また指出す、 虎岩村年貢未進分書上げ及びかん米覚
454
明正
寛永一九年一一月八日
1642
小県郡の長右衛門、同郡の新三郎に、田地を売渡す、
458
明正
寛永一九年一一月九日
1642
諏訪忠恒の家臣三輪知友、筑摩郡神田村に、前年分年貢の納払皆済目録を渡す、
458
明正
寛永一九年一一月一三日
1642
松平忠利、忠節、小県郡金井村の本年免相を定む、
460
明正
寛永一九年一一月一五日
1642
幕府代官設楽能業、佐久郡広瀬村等に、本年年貢を割付く、
460
明正
寛永一九年一一月一五日
1642
幕府代官岡上半助、佐久郡上海瀬村等に、本年年貢を割付く、
470
明正
寛永一九年一一月一七日
1642
脇坂安元の家臣藤村七左衛門、伊那郡虎岩村平沢勘右衛門より、同村の種借米を請取る、
473
明正
寛永一九年一一月一九日
1642
信濃善光寺大本願、同寺大勧進と同寺再建のことにつき争論す、是日、幕府寺社奉行松平勝隆・安藤重長、之を裁し、双方相談の上事を決すべきを定む、
474
明正
寛永一九年一一月一九日
1642
伊那郡小林村の源三、同郡野池村の大平権兵衛に、女子を譜代として進む、
476
明正
寛永一九年一一月二七日
1642
安曇郡水野忠清領一本木村の平右衛門、是日より、同村本年の年貢納払目録を書上ぐ、
477
明正
寛永一九年一二月三日
1642
佐久郡下畑村の小右衛門等、仲介人となり、同郡中畑村の加兵衛の訴訟を延期せしむ、
480
明正
寛永一九年一二月三日
1642
山村良豊、木曽谷飢饉救恤のため、麦・大豆等の借用を徳川義直に請ふ、尋いで、義直、金子千両を貸与ふ、
481
明正
寛永一九年一二月五日
1642
松平万助、忠倶、高井郡犬飼村等領内諸村の本年免相を定む、
483
明正
寛永一九年一二月六日
1642
佐久郡野沢村の忠右衛門等、助右衛門と庄左衛門の争論を仲裁し、之を和解せしめしむ、
489
明正
寛永一九年一二月八日
1642
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
490
明正
寛永一九年一二月一三日
1642
山村良豊、徳川義直の家臣伊奈七右衛門等より、木曽材木本切の代金を請取る、
490
明正
寛永一九年一二月一四日
1642
佐久郡の久五郎等、本年定年貢に異見なきを申す、
492
明正
寛永一九年一二月一八日
1642
伊那郡下瀬村の五郎助、同村上松兵三郎等に、田畠家屋敷等を売渡す、
492
明正
寛永一九年一二月二〇日
1642
真田信之の家臣菅沼九兵衛等、明屋敷年貢・松茸売上代金等を信之に進む、
497
明正
寛永一九年一二月二〇日
1642
筑摩郡水野忠清領潮村の加兵衛、同村年貢納高を記す、 潮村の寛永廿年年貢割付状
498