長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十八 (600頁~)
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天皇
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西暦
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明正
寛永二〇年
1643
伊那郡知久則直領南原村等諸村の本年定物成帳、成る、
600
後光明
寛永二〇年一〇月三日
1643
仙石政俊、小県郡小牧村等の本年年貢高を定む、尋いで、同郡諏訪部村等領内諸村の本年年貢高を定む、 政俊の事蹟
607
後光明
寛永二〇年一〇月七日
1643
徳川義直、山村良豊・千村重長に命じ、猫を捕へて隠し置く者を取締らしむ、 重長の事蹟
618
後光明
寛永二〇年一〇月一六日
1643
松平忠憲、憲良、佐久郡芦田村の本年免相を定む、尋いで、同郡御馬寄村等領内諸村の本年免相を定む、 忠憲憲良、の事蹟
619
後光明
寛永二〇年一〇月一八日
1643
幕府代官近山安俊等、高井郡小田中村等に、本年年貢を割付く、
624
後光明
寛永二〇年一〇月二〇日
1643
伊那郡野池村大平権左衛門、是日より、同郡今田郷百姓より貸米を請取る、
628
後光明
寛永二〇年一〇月二三日
1643
水野忠清の家臣鈴木助左衛門等、安曇郡成相新田町問屋に、伝馬人足の印判を示す、
634
後光明
寛永二〇年一〇月二四日
1643
小県郡松平忠利忠節、領棗田村楢原新右衛門、同村名寄帳を記す、
634
後光明
寛永二〇年
1643
是より先、徳川義直の舟奉行、山村良豊に、帆柱用材を木曽湯舟沢山等より伐出すべきことを命ず、是月、良豊、木曽谷中百姓等をして用材を川狩せしむ、
635
後光明
寛永二〇年
1643
幕府代官天羽景慶等、高井郡亀倉村に、本年年貢を割付く、
637
後光明
寛永二〇年一一月一日
1643
松平忠利、忠節、小県郡金井村の本年免相を定む、 忠利忠節、の事蹟
638
後光明
寛永二〇年一一月五日
1643
水野忠清、筑摩郡上神林村等領内諸村の本年年貢高を定む、 忠清の事蹟
640
後光明
寛永二〇年一一月一二日
1643
幕府代官設楽能業、佐久郡原村等に、本年年貢を割付く、
647
後光明
寛永二〇年一一月一五日
1643
幕府代官岡上半助、佐久郡上海瀬村に、本年年貢を割付く、
654
後光明
寛永二〇年一一月二三日
1643
佐久郡新海三社の神領帳、成る、
656
後光明
寛永二〇年一一月二八日
1643
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
658
後光明
寛永二〇年
1643
長野永泰、埴科郡松城の海野源左衛門に、居合術を伝授す、 永泰の源左衛門に伝授せる居合術目録
659
後光明
寛永二〇年一二月九日
1643
佐久郡幕府領下桜井村、同村百姓等に、本年年貢を割付く、
661
後光明
寛永二〇年一二月一〇日
1643
山村良豊、木曽長福寺住持某の京都に赴くを、馬場三郎左衛門に告ぐ、
665
後光明
寛永二〇年一二月一一日
1643
山村良豊、徳川義直の家臣柘植庄左衛門等より、本年の木曽本切材木の代金を請取る、
665
後光明
寛永二〇年一二月一五日
1643
伊那郡虎岩村平沢勘右衛門、同村百姓の本年未進年貢を書上ぐ、
666
後光明
寛永二〇年一二月二〇日
1643
伊那郡幕府領大南山村の十左衛門等、千村重長の手代中山吉左衛門に、同村前年分未進年貢米を書上ぐ、 伊那郡冨田村等三ヶ村の借米代用榑木の算用覚
667
後光明
寛永二〇年一二月二一日
1643
山村良豊、角倉平二に金子借用方を申入る、
669
後光明
寛永二〇年一二月二二日
1643
幕府代官岡上半助の手代市川五兵衛、佐久郡上海瀬村新海与右衛門より、山年貢銭・鉄砲役金を請取る、尋いで、六尺給銭を請取る、
669
後光明
寛永二〇年一二月二七日
1643
徳川家光、鳥居忠春の妹と佐久間源六との縁組を許す、
670
後光明
寛永二〇年一二月二七日
1643
是より先、脇坂安元の家臣渡辺九兵衛、預け米売払代金のことにつき、伊那郡虎岩村平沢勘右衛門の非を責め、その女房を人質となす、是日、勘右衛門、之を安元奉行所に訴ふ、
671
後光明
寛永二〇年一二月二八日
1643
真田信之、金井善兵衛等に知行を加給す、 信之の事蹟
672
後光明
寛永二〇年
1643
伊那郡脇坂安元領下瀬村上松権左衛門、同村前年分の年貢納帳を、安元の家臣日永九郎左衛門尉に指出す、 下瀬村、同村の前年分年貢帳を記す、
688
後光明
寛永二〇年
1643
筑摩郡水野忠清領山辺村の八兵衛、尾張山田村に於いて聖の荷物を盗み、木曽贄川村に於いて売却すとの嫌疑を受く、是月、徳川義直の家臣間宮正綱、山村良豊にその吟味を命ず、
702
後光明
寛永二〇年
1643
山村良豊、徳川義直・同光友に物を献ず、 良豊の事蹟
703
後光明
寛永二〇年
1643
脇坂安元、林道春羅山、に依嘱して、父同安治の碑銘を撰せしむ、 脇坂安吉の林道春に依嘱して撰せる父同安元の碑銘・安元に贈りし僧宗彭沢庵、の和歌・林道春の安元画像の賛・安元自作の和歌・安元の伊達政宗宛書状及び事蹟
710
後光明
寛永二〇年
1643
幕府代官の手代中西与兵衛等、高井郡小田中村の市郎兵衛に、同村の寛永十八年分年貢納払皆済状を渡す、
724