長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻二十八 (100頁~)


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天皇 年月日 西暦 記事
明正寛永一八年三月二日1641伊那郡虎岩村百姓等、同村の九八郎の病むに依り、その年貢・役儀を請負ふべきを同村平沢勘右衛門に約す、105
明正寛永一八年三月三日1641真田信之、病癒へ、徳川家光に賀歳す、105
明正寛永一八年三月三日1641安曇郡の三右衛門、勘右衛門等より田地を預る、106
明正寛永一八年三月五日1641高島城主諏訪忠恒、諏訪郡木之間村内たけし新田に定書を付す、 忠恒の家臣牛山勘左衛門等、近藤与兵衛等に、諏訪郡木之間村の作兵衛新田屋敷割を命ず、106
明正寛永一八年三月九日1641佐久郡の六左衛門等、村中惣作の田畑屋敷地を預る、108
明正寛永一八年三月一三日1641松平万助、忠倶、水内郡柏原村の権右衛門尉等をして、同郡妙泉寺の用材を内山にて伐らしむ、109
明正寛永一八年三月一五日1641幕府、陸奥会津若松城主加藤明成の家臣堀主水及びその弟真鍋小兵衛等の罪あるを裁し、小兵衛を上田城主仙石政俊に預く、110
明正寛永一八年三月一五日1641真田信之、与良六兵衛に知行を給す、111
明正寛永一八年三月一六日1641堀田正盛の家臣玉井二郎右衛門等、安曇郡堀之内村の、寛永十六年分の年貢納払を皆済せるを証す、112
明正寛永一八年三月二〇日1641佐久郡下桜井村、是日より、使物割付帳を記す、114
明正寛永一八年三月二九日1641山村良豊、徳川義直より栃の実進上を命ぜらるるにより、その料理の仕方覚書を義直の用人松井三郎左衛門に進む、115
明正寛永一八年1641山村良豊、徳川義直の年寄衆に、江戸大火のため類焼せる義直下屋敷復興用材につき指示を求む、116
明正寛永一八年1641徳川義直、本年より木曽妻篭・福島・奈良井に巣鷹奉行を遣はすを止め、山村良豊をしてその任に当らしむ、117
明正寛永一八年四月七日1641鳥居忠春、参覲す、117
明正寛永一八年四月九日1641伊那郡幕府蔵入地預り代官千村重長、同郡大河原・鹿塩村等預り所諸村の郷帳及び絵図面を、幕府勘定方に書上ぐ、 伊那郡冨田・鹿塩・清内路等諸村、借米返済用に納入する榑木を借りて年貢に充つ、118
明正寛永一八年四月一〇日1641是より先、植村直宗、徳川家光の勘気に依り戸田康長に預けられ、筑摩郡松本に蟄居中、同地に死す、是日、幕府、土屋知貞を検使として松本に派遣す、123
明正寛永一八年四月一三日1641山村良豊、家臣末木弥左衛門に命じ、徳川義直の老臣成瀬正虎を介して、堀田正盛に、領内にて巣鷹の餌を取るを許されんことを請はしむ、124
明正寛永一八年四月一六日1641伊那郡邑主座光寺為重の次子同為正、仙石政俊の弟同政則・同政勝等、小姓組に加へらる、125
明正寛永一八年四月一七日1641徳川家光、江戸城内紅葉山東照社に参詣す、鳥居忠春・仙石政俊・脇坂安元等諸大名、之に供奉す、127
明正寛永一八年四月二一日1641佐久郡入沢村百姓、同郡余地村巣守衆等に、同郡赤岩山大平の松の木を盗伐せざる旨を誓約す、128
明正寛永一八年四月二二日1641真田信之、八田平三郎の寛永十六年分年貢・小役を皆済せるを証す、129
明正寛永一八年四月二三日1641脇坂安元の家臣藤村七左衛門、伊那郡虎岩村平沢勘右衛門をして、同郡別府村の長九郎に前年分の預け米を渡さしむ、129
明正寛永一八年四月二三日1641脇坂安元の家臣国木田清大夫、伊那郡虎岩村平沢勘右衛門をして、竹を指出さしむ、国木田清大夫、平沢勘右衛門より竹の野手役を請取る、129
明正寛永一八年四月二八日1641真田信之、出浦市之丞に知行を給す、 信之、市之丞に足軽を預く、130
明正寛永一八年四月二八日1641脇坂安元の家臣藤村七左衛門、伊那郡虎岩村平沢勘右衛門より、前年分預け米を請取る、尋いで、また請取る、 藤村七左衛門、平沢勘右衛門より、前年分蔵出し米を請取る、131
明正寛永一八年五月三日1641真田信政・同信重、参覲す、133
明正寛永一八年五月一二日1641仙石政俊・脇坂安元、徳川家光より帰国の暇を賜はり、併せて、江戸中火消役の労を犒はる、134
明正寛永一八年五月二七日1641徳川義直、領内木曽王滝村等に、吉利支丹宗門改・闕落百姓取締り等の定書を頒つ、134
明正寛永一八年1641鳥居忠春の老臣高瀬源兵衛、美濃落合村藤十郎女房と旅僧の忠春領内に闕落せるを捕へ、山村良豊に渡す、尋いで、良豊、徳川義直の命により、之を名古屋に送る、136
明正寛永一八年六月七日1641真田信之、帰国の暇を賜はる、137
明正寛永一八年六月一九日1641徳川義直、山村良豊に触書を渡す、137
明正寛永一八年1641伊那郡横厩村、同村の境界につき書出す、138
明正寛永一八年七月一日1641仙石政俊、大坂加番を命ぜらる、139
明正寛永一八年七月一日1641是より先、山村良豊、徳川義直に、良豊知行所美濃中津川山に於いて、旧例の如く私用の材木・板子の伐出しを許されんことを請ふ、是日、義直、之を許す、139
明正寛永一八年七月四日1641仙石政俊、上田城本丸・二の丸石垣修理の許可を幕府に請ふ、是日、幕府、之を許し、旧の如く修理せしむ、146
明正寛永一八年七月七日1641堀田正盛、安曇郡熊野社に日乞神事料を寄進す、147
明正寛永一八年七月一二日1641水内郡大安寺住持寿白、鉄山、寂す、147
明正寛永一八年七月二四日1641是より先、下野日光山東照社の宝塔、成る、是日、徳川家光、堀田正盛を同社に遣はし、之を検せしむ、148
明正寛永一八年1641是より先、伊那郡小野村の長左衛門尉、千村重長役所に同村田地・役人足等につき訴状を指出す、是月、重ねて訴状を重長の手代中山吉左衛門に指出す、148
明正寛永一八年八月三日1641真田信之、片岡兵八に、同九左衛門の跡職を嗣がしむ、153
明正寛永一八年八月五日1641伊那郡脇坂安元領四徳村、同村の納年貢米を書上ぐ、153
明正寛永一八年八月九日1641堀田正盛等諸大名、徳川家光の世子竹千代家綱、御七夜にあたり、脇差等を贈りて之を賀す、154
明正寛永一八年八月一五日1641伊那郡虎岩村、是日より、納払小手形を記す、 虎岩村の払米勘定及び同村百姓の上げ綿請取小日記158
明正寛永一八年八月一七日1641真田信之、渡辺清右衛門に知行を加給す、162
明正寛永一八年八月一七日1641堀田正盛の家臣増沢次左衛門、安曇郡堀之内村の前年分年貢納払を皆済せるを証す、 安曇郡上一本木村の寛永十七年分納払目録163
明正寛永一八年1641上水内郡大内山神社の神像、成る、167
明正寛永一八年九月八日1641松平万助、忠倶、水内郡尾崎村を検地す、 水内郡松平万助忠倶、領曽根村検地帳168
明正寛永一八年九月一七日1641伊那郡万場村の弥五右衛門、同郡邑主近藤重直の家臣滝野十右衛門に、前年分年貢金を渡す、182
明正寛永一八年九月一七日1641是より先、飛騨高山城主金森重頼、山村良豊の、重頼領内より闕落せる百姓を木曽福島関に捕へ、送り返せしを謝す、是日、良豊、之に答ふ、183
明正寛永一八年1641是より先、幕府、太田資宗に命じて、諸家系図を編纂せしむ、是月、真田信之、同家の系譜等を資宗に差出す、183
明正寛永一八年一〇月二日1641仙石政俊、小県郡諏訪部村の本年年貢高を定む、尋いで、同郡横尾村等領内諸村の本年年貢高を定む、186
明正寛永一八年一〇月一一日1641山村良豊、徳川義直の老臣竹腰正信に、正信の手形により、尾張より筑摩郡松本に赴ける堀田正盛の家臣竹村武右衛門の妻子等をして、木曽福島関を通過せしめんことを報ず、192
明正寛永一八年一〇月一八日1641幕府代官天羽景慶等、高井郡亀倉村に、本年年貢を割付く、193
明正寛永一八年一〇月二五日1641諏訪忠恒の家臣三輪知友、筑摩郡神田村の善右衛門に、前年分年貢の納払皆済目録を渡す、尋いで、同郡和泉村の孫兵衛にも渡す、195
明正寛永一八年一〇月二五日1641伊那郡虎岩村、是日より、本年の種借米を請取る、197