長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」補遺編-下 (200頁~)
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後水尾
慶長一六年八月二八日
1611
松平忠輝、河中島の内二万石を松城領となし、花井吉成をして、之を領知せしむ、忠輝、生母お茶阿等に知行を給すの条、(追加)
202
後水尾
慶長一六年一一月四日
1611
仙石秀久、山城北野社梅順坊能閑に、同社知行物成代金を渡す
203
後水尾
慶長一七年三月一一日
1612
出羽久保田城主佐竹義宣領内銀山奉行梅津政景、同銀山京都の五郎兵衛の盗みを働き闕落せるに依り、その敷分を信濃の人長右衛門に渡す、 越後の人久蔵、佐竹義宣領内院内町に於いて、信濃の人半介を刃傷す、
203
後水尾
慶長一七年四月二五日
1612
仙石秀久、山城北野社梅順坊能閑に、同社知行物成代金を渡す、
208
後水尾
慶長一七年八月一日
1612
堀直寄、渡辺伝左衛門に同人の高井郡灰塚村等の地の知行目録を渡す、
208
後水尾
慶長一七年一一月一二日
1612
仙石忠政、佐久郡小諸仙明院に、城附修験年行事職を安堵し、徳川家康・同秀忠の武運を祈念せしむ、
210
後水尾
慶長一七年一二月一八日
1612
真田信之、山越久左衛門尉等に知行を与ふ、
210
後水尾
慶長一八年正月二二日
1613
伊那郡の某、御馬飼の番次を定む、
212
後水尾
慶長一八年七月一一日
1613
堀直寄高井郡虫生村をして、山論中の山を同郡平林村に渡さしむ、
213
後水尾
慶長一八年九月一六日
1613
仙石秀久、鷲見九一郎等に知行を給す、(追加)
213
後水尾
慶長一八年一〇月一九日
1613
幕府、石川三長の、大久保長安と結び、知行を隠匿せるに依り、改易に処し、その身を豊後佐伯の毛利高政に預く、尋いで、小笠原秀政をして、三長の旧領を領知せしむの条、(追加)
214
後水尾
慶長一八年一〇月二五日
1613
伊那郡下殿岡村、落合助右衛門等に、同村年貢名寄高を書上ぐ、(追加)
216
後水尾
慶長一八年一一月一九日
1613
伊那郡小川村・今田村等、慶長十四年分納払高を記す、 小川村・今田村等の慶長十五年分年貢納払勘定書等
219
後水尾
慶長一八年一二月二〇日
1613
小笠原秀政、葦沢孫左衛門尉をして、筑摩郡麻績の問屋職を安堵せしむ、
226
後水尾
慶長一八年
1613
正計廉室、居士、姓闕く、伊那郡西岸寺住持玄彭覚堂、より、受衣受戒す、
227
後水尾
慶長一九年正月六日
1614
真田信之、出浦対馬守・大熊勘右衛門をして、上野沼田及び吾妻郡のことを沙汰せしむ、(追加)
228
後水尾
慶長一九年正月一八日
1614
幕府、松平忠輝の居城を越後福島より同国高田に移さんとし、その城普請を真田信之等に命ずの条、(追加)
231
後水尾
慶長一九年二月二七日
1614
真田信之、鈴木久次郎に、小県郡岩門の地を宛行ふ、
232
後水尾
慶長一九年三月一五日
1614
千村良重、慶長十年以後の間切勘定書並びに同十四年以後の榑木の算用状を幕府勘定所に指出すの条、 良重の慶長十四年新榑算用状及び森庄兵衛の同十九年の榑木払帳等
232
後水尾
慶長一九年五月六日
1614
佐久郡小諸城主仙石秀久、卒す、尋いで、子忠政嗣ぐの条、(追加)
235
後水尾
慶長一九年七月一三日
1614
小笠原秀政、小野七左衛門・小林弥右衛門を筑摩郡本山問屋となすの条、 本山・上野高崎・同坂本三宿の契約証文
237
後水尾
慶長一九年七月一三日
1614
真田信之、出浦昌相等に命じ、上野政所の闕落百姓等を召返し、田地を開かしむ、
238
後水尾
慶長一九年七月二一日
1614
仙石忠政、佐久郡小諸仙明院に初穂料を進め、徳川家康・同秀忠の武運を祈らしむ、
239
後水尾
慶長一九年九月二五日
1614
小笠原秀政、安曇郡仁科神明等に地を寄進すの条、(追加)
240
後水尾
慶長一九年一〇月一四日
1614
真田信之、出浦昌相をして、上野の渡右馬助に、同国吾妻郡の取締についての定書を渡さしむ、
240
後水尾
慶長一九年一〇月二三日
1614
徳川秀忠、仙石忠政・真田信吉等信濃諸大名に、大坂出陣を命じ江戸を発す、小笠原秀政父子は松本城の、諏訪頼満は甲府の警固を命ぜらるの条、(追加)
241
後水尾
慶長一九年一一月一九日
1614
徳川家康の奉行跡部勝吉、伊那郡某社をして、神田を安堵せしむ、
242
後水尾
慶長一九年一一月二一日
1614
小笠原秀政、筑摩郡・安曇両郡の闕落百姓往還等につき条目を示すの条、(追加)
242
後水尾
慶長一九年一二月一日
1614
小県郡良泉寺住持宗廓、寂す、
244
後水尾
元和元年
1615
諏訪郡の藤原信舎、太刀を作り、諏訪社上社に寄進す、
246
後水尾
元和元年三月七日
1615
原藤左衛門、筑摩郡小俣村の田地の高及び年貢納高を記すの条、(追加)
246
後水尾
元和元年四月一〇日
1615
徳川秀忠、軍を卒ヰて江戸を発す、仙石忠政・真田信吉等、之に従ふの条、(追加)
250
後水尾
元和元年四月一二日
1615
真田信之、宮下藤右衛門をして、前年大坂参陣の士に知行を給せしむの条、(追加) 信之の宮下藤右衛門等宛書状等
250
後水尾
元和元年四月二八日
1615
真田信吉・信政兄弟等、井伊直孝の組下となり、河内天王寺口に着陣すの条、(追加)
253
後水尾
元和元年六月二日
1615
保科正光の家臣篠田隆吉、諏訪社上社権祝矢島某に、五月祈念の玉会を贈らるるを謝す、
254
後水尾
元和元年閏六月二六日
1615
幕府、仙石忠政の兄宗也の子長太郎、を、京都六条河原に斬るの条、(追加)
255
後水尾
元和元年七月三日
1615
真田信之、上野玉泉寺をして、寺領を安堵せしむ条、(削除)
256
後水尾
元和元年九月一一日
1615
松平忠輝、柴田囚獄助に水内郡北堀村等に於いて知行を給すの条、 松平忠輝、青木道二に、水内郡高田村等に於いて、知行を給す、
256
後水尾
元和九年九月一九日
1623
真田信政、幕府大名改の風聞あるを以つて、老臣矢沢頼幸等をして、真田信之と談合の上、之に対処せしむの条、(追加)
257
後水尾
元和元年一一月一五日
1615
伊那郡石林平左衛門、伊那郡米川村の慶長十八・九年分年貢納払目録を、千村良重の手代井口弥左衛門に指出す、
258
後水尾
元和元年一一月二一日
1615
是より先、伊達政宗、使者を以つて、松平忠輝を見舞ふ、是日、忠輝、之を謝し、未だ徳川家康に謁せざる次第を報ず、
259
後水尾
元和元年
1615
角倉与一、玄之、木曽山材木運送の役を命ぜらる、
260
後水尾
元和二年二月二一日
1616
仙石忠政の家臣奥田成相、佐久郡与良のかわたの夫銭及び山手役を免ず、
261
後水尾
元和二年三月一七日
1616
徳川家康、医師片山宗哲を諏訪郡高島に流すの条、(追加)
261
後水尾
元和二年四月二五日
1616
山田藤左衛門、見崎喜兵衛より、水内郡竹生組の前年分年貢銀を請取る、
262
後水尾
元和二年六月六日
1616
真田信之、小県郡海野町伝馬人等につき条目を渡すの条、 信之、伝馬印判を示す、
263
後水尾
元和二年七月六日
1616
幕府、松平忠輝を伊勢朝熊に配し、その所領を没収す、尋いで、真田信之等をして、忠輝支配の諸城を請取らしむの条、(追加)
263
後水尾
元和二年八月一日
1616
真田信之、出浦昌相等に、小県郡蔵納地の検地を命じ、条目を渡す、
265
後水尾
元和二年九月一一日
1616
仙石秀久の家臣酒匂清兵衛、佐久郡小諸仙明院に、行者講の祈祷料を渡す、
267
後水尾
元和二年九月二一日
1616
木曽代官山村良安、慶長十七・八年の土井・榑及び定納の勘定目録を、駿河勘定所に進むの条、 松平正綱等、徳川義利義直の老臣成頼正虎等をして、山村良勝の榑木・土井・板子勘定につき、指図せしむ、
267
後水尾
元和二年一〇月一四日
1616
小笠原忠政の家臣香坂七郎右衛門、伊那郡上飯田分の年貢米納方を勘定所に書上ぐ、
268
後水尾
元和二年
1616
幕府、堀直寄を水内郡飯山より越後長岡城に移すの条(追加)
269
後水尾
元和二年一一月一七日
1616
千村良重、伊那郡より近江日明に流出せる木材の請払勘定目録並びに留綱入用・入足扶持等の算用状を、幕府勘定所に指出す、
270
後水尾
元和二年一一月一七日
1616
飯川八郎左衛門、見崎喜兵衛より、水内郡竹生組村々百姓の借米手形を請取る、
273
後水尾
元和三年二月三〇日
1617
松平正綱等、徳川義直の老臣成瀬正成等に、木曽伐出しの江戸御宮東照社、本堂等造営用材の注文を進む、尋いで、また進む、 中井正清、成瀬正成等に、江戸大樹御宮東照社、造営の用材の注文を進む、
274
後水尾
元和三年四月一〇日
1617
埴科郡雨宮日吉社祠官片岡式部等、松平忠昌の家臣東条三左衛門等に、本年分山王神事入用材木の調達を請ふ、仍りて三右衛門等、同郡倉科山に於いて、伐採するを許す、
279
後水尾
元和三年七月一五日
1617
岡部太郎左衛門等、法衣を水内郡信叟寺に寄進す、
280
後水尾
元和三年七月二〇日
1617
諏訪頼満頼水、の子忠頼、忠澄、忠恒、京都に於いて従五位下に叙せられ、出雲守に任ぜらるの条、 諏訪忠頼、忠恒、幕府年寄衆等に、鰻鮓等を献ず、 稲葉典通の女と縁組す、
281
後水尾
元和三年七月二五日
1617
伊勢豊受大神宮御師榎倉武棟、小笠原忠政忠真、の播麿に移封せられしこと等を、桑山長兵衛に報ず、
289
後水尾
元和三年七月二七日
1617
幕府、小笠原忠政忠真、を筑摩郡松本より播麿明石に移封すの条、(追加)
291
後水尾
元和三年
1617
脇坂安元領伊那郡飯田城廻及び下条、・箕輪分等の村々の物成帳、成る、
291
後水尾
元和三年一〇月四日
1617
是より先、江戸作治方成田内匠、徳川義直、の老臣成田内匠、徳川義直の老臣竹腰正信に、江戸城台所造営用木曽材の参着を促す、是日、正信、之に答報し、また、角倉与一の手代同庄右衛門に、右の木材運送を促す、
296
後水尾
元和三年一〇月一七日
1617
真田信吉、山室作左衛門に、上野阿波郷等に於いて知行を給す、
298
後水尾
元和三年一一月四日
1617
松平戸田、康長の家臣西郷元勝等、筑摩郡松本城在番仙石忠政より、同城を請取る、
299