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(三)本源院道祐

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 【眞宗寺開基】道祐は堺眞宗寺の開基で足利義氏の第四子祐氏と稱したと傳へてゐる。足利氏の系圖には義氏の子に祐氏なるものが見えず、源光寺の開基祐源も義氏の子祐氏といへば、異名同人で或は庶子であつたかも知れない。幼にして父を喪ひ、母に從つて堺浦に徙り、薙髮して道祐と號し、始め天台を學び、【覺如の弟子となる】後本願寺覺如に謁して、一向專修の念佛行者となつた。足利尊氏の將軍となるに及び、同族たるの緣故により、寺地の租税を免除し、封田若干を施入したと傳へてゐる。延元年中覺如は、佛像並びに一宗の聖典を授與した。(信證院眞宗寺略緣起、泉州志卷之一)後本源院と號し、興國七年六月十八日示寂した。享年九十三。(眞宗寺略年表)

第一圖版 道祐畫像