【
眞宗寺開基】
道祐は堺
眞宗寺の開基で足利義氏の第四子
祐氏と稱したと傳へてゐる。
足利氏の系圖には義氏の子に
祐氏なるものが見えず、
源光寺の開基
祐源も義氏の子
祐氏といへば、異名同人で或は庶子であつたかも知れない。幼にして父を喪ひ、母に從つて堺浦に徙り、薙髮して
道祐と號し、始め天台を學び、【
覺如の弟子となる】後
本願寺覺如に謁して、一向專修の念佛行者となつた。
足利尊氏の將軍となるに及び、同族たるの緣故により、寺地の租税を免除し、封田若干を施入したと傳へてゐる。延元年中
覺如は、佛像並びに一宗の聖典を授與した。(
信證院眞宗寺略緣起、泉州志卷之一)後
本源院と號し、興國七年六月十八日示寂した。享年九十三。(
眞宗寺略年表)
第一圖版 道祐畫像