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(二三)精進院日隆

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 精進院日隆字は深圓。法華宗舊八品派の開祖である。越中桃井右馬頭尚儀の子、幼名長一麿、元中元年十月出生した。叔父に妙顯寺日霽の門弟日存、日の兩僧あり、之を羨み、十歳同鄕の遠成寺に入つて落髮し、十八歳入洛、日霽に師事して慶林坊と稱した。(諸宗祖師傳)應永二十二年京師に本能寺を剏建し、法華八品を立義し、弘通攝度し、之に唱和するもの漸く多かつた。同二十七年三月攝津尼崎の城主細川滿元大に歸依し、封内なる八幡神社苑囿方八町步を寄進した。依て此處に大伽藍を創建し、【本興寺の創立】本興寺と稱した。【堺來化】當時屢々折伏弘通の爲めに堺に來るや、木屋某餝屋某等自宅を捨てゝ靈場とした。卽ち今の顯本寺で、同姓僧日淨をして住持たらしめた。(兩山歷譜)後直弟本覺院日陽は、本受寺を開創した。(寺院誌參照)寬正五年二月二十五日享年八十一歳を以て示寂。(本興寺囘答書)本興寺開山堂に安置せる堺の佛工淨傳作日隆の木像は、明治三十七年國寶に編入せられ、(兩山歷譜、大日本寺院總覽)前机亦堺名工の製作したものと傳へられ、彫琢の技見るべきものがある。