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(六一)日通

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 日通功德院と號した。【堺の人】堺の人である。【日珖の高弟】妙國寺の開山日珖に師事して宗乘を究め、日曉、日統等と與に、上足に列した。(佛心歷代師承傳)三十六歳、【本法寺第十世】京都本法寺の第十世に瑞世し、其中興と稱せられた。天正十八年豐臣秀吉の聚樂第を營むに方り、一條堀川に在つた同寺を今の地に移轉の際、本阿彌光二は其工事を監督した。仍て日通は其功に酬いんが爲めに、之に十界曼荼羅を贈つた。(本法寺囘答書)文祿年中日珖中山法華經寺に輪番制度確立の際、第三世に擧げられた。(佛心歷代師承傳、治要錄)日通其師を尊崇するの念厚く、慶長三年八月日珖の遺骨を收め、之を本法寺の妙雲堂に納め、(佛心歷代師承傳)又其十三囘忌法要を修した。(日通遺書)日通晚年宗祖日蓮の書法を學んで之を能くし、(本法寺調査書)又茶湯にも通じた。(茶人系傳全集)同十八年正月十六日享年五十八歳を以て示寂した。(本法寺囘答書)【著書】主なる著書に、諸法實相抄觀心本尊抄等がある。(本法寺調査書)

第二十圖版 日通木像