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(二一九)松江宗德

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 【千宗旦に學ぶ】松江宗德は宗訥の子で、(茶事集覽)茶湯を千宗旦に學び、自在庵一釜齋と號した。(茶人系傳全集)隱逸を好み、清巖宗渭と交り深く、雅號は清巖の與ふるところ、江月宗玩は「明歷々、露堂々」の一行を與へた。宗德曾て清巖の句、「渴來茶、餓來飯」と、「承應二年自笑書」の十三字を、釜の表面に鑄出せんとし、鑄物師信濃に製作せしめ、此釜を以て、飯を炊ぎ、又湯を沸かしては茶を喫んだ。卽ち茶飯釜と稱するものである(茶事集覽)元伯翁も亦自製の竹茶杓及び墨塗の棗を贈つた。【一釜宗德宗德は終世此一釜を愛玩した。因つて世に詑數寄と稱せらるゝに至つた。【自在庵釜】釜は諸方の茶人模造して自在庵と稱し、茶具一切は堺泉屋長左衞門(法名良齋)の家に傳へたといふ。(數寄者名匠集)天和三年二月十八日歿した。(養壽寺過去帳)