【錢屋】松江宗安は間齋と號し、錢屋と稱した堺の豪商である。父は茶湯を以て聞え、法號を木庵宗訥居士といひ、(諸書多く宗訥を謬つて宗納に作る)天正十八年正月歿した。宗安の母は譽田屋德隣の女で、法號を德泉宗清大姉といひ、共に其墓碑が南宗寺の枝院德泉菴にある。宗安茶湯に通じ(茶人系傳全集)長崎から明人を聘し、堺で紗地の金襴を織らしめた。【錢屋切】今之を錢屋切と稱して居る。【白粉の製造】亦本邦製白粉の精巧ならざるを見て、慶長、元和の頃明人に製法を傳習して之を精製したと傳へられて居る。(嬉遊笑覽卷一、近代世事談、安齋隨筆)【德泉菴創剏】宗安資性孝順、佛教を信じ、母氏の冥福を祈り、慶安元年功德場を南宗寺内に建て德泉菴と號し、紫野大德寺の清巖宗渭を請して開山とした。寬文六年正月壽八十一歳を以て歿した。長子遠貞墓碑を菴の西林に建て天倫宗忽に銘文を乞ふた。(閒翁宗安居士墓碑銘)