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(四)廢三寶寺

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 三寶寺神光山と號し、【寺隄】寺址は寺地町東三丁字寺町荒神堂筋の角にあり、眞言宗堺念佛寺の末寺であつた。(堺南北寺庵本末開基宗旨改帳)【荒神堂】【荒神奉祀】境内の荒神堂に石體の荒神を祀る。長三、幅二、厚八寸もと攝津清澄寺のもので、背面に銘刻がある。【沿革】某年兵燹に罹り、其後今池辨財天社前の池中より掘出し、之を三村社内に安置し、(堺鑑上)文明十六年十二月南莊樽屋町に移した。(堺鑑上)故に每年十一月の火燒祭には、三村宮の社僧參勤の例となつた。(堺鑑上)【石像銘名】石像銘文は天和三年堺鑑編纂當時既に磨滅して、文字彫刻の有無すら判明し難き程であつたが、康正の年號のみは微に判讀せられる。(堺市史蹟志料)明治の初年廢絶し、(開口神社記錄)寺址は市鄽となり、【所在】石像は今正法寺の境内に遷されて居る。