【位置】天慶院は南旅籠町東三丁南宗寺境内にあり、同寺塔頭の一で、臨濟宗大德寺派大德寺末、寺格八等地。【沿革】始め海眼菴と稱し、南庄谷口にあり、比丘尼寺であつたが、南宗寺第二世笑嶺宗訢のとき枝院となり、(南宗寺諸法度)天正年中僊嶽宗洞之を中興し、(全堺詳志卷之上)元和兵燹後、中之町の舊一甫庵の地に移り、復興の際、更に同寺境内心甫庵の移轉豫定地へ移し、表口九間、奧行十四間半の敷地を得、(南宗寺諸法度、烏焉集、南宗寺復興豫定圖)泉南熊取の中道哲によつて造立された。(全堺詳志卷之上)享保三年八月天慶院と改稱。(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)院の諸建築は高志芝巖別墅を移し、祖先追福の爲に再建し、時の住職大拙と謀つて改稱したものである。(全堺詳志卷之上)【本尊】本尊釋迦牟尼佛、【堂宇】本堂兼庫裏、茶室、門等を有し、(堺史料類纂)【什寶】什寶に涅槃像一幅、中半兵衞の寄附にかゝる文殊、普賢兩菩薩の座像がある。